日中戦争はどのようにはじまったのか
日本では、陸軍の〔林銑十郎内閣〕を経て、貴族院議長(もと摂関家の近衛家)の〔第1次近衛文麿内閣〕が成立しました。
そして、北京郊外で日中両軍が衝突する盧溝橋事件(1937.7)が発生し、第2次上海事変も起こって日中戦争(1937~45)が拡大すると、中国では第2次国共合作が成立して抗日民族統一戦線が形成され、宣戦布告もないまま長期戦となり(日本はこれを「支那事変」と呼称)、日本軍は首都南京を占領しました(南京事件も発生)。
しかし、国民政府は内陸部の重慶に移り、東南アジアからの援蔣ルートを通じたアメリカ・イギリスの物資援助を受けながら、抗戦を続けました。
日中戦争に関連した外交の進行について
1938年、日本は近衛声明を発表し、各地に親日政権を作って和平を達成する方針に転換しました。第1次近衛声明では「国民政府を対手とせず」と表明し、蔣介石の国民政府との和平交渉を日本側から閉ざしました。
第2次近衛声明では「日本・満州・中国の連帯と東亜新秩序の建設」を掲げ、今さらながら戦争目的を表明しました。
のち、国民政府要人で親日派の汪兆銘が重慶を脱出し、日本の保護下で南京に新国民政府を樹立しましたが(1940)、政権としては弱体で、日本の和平工作は停滞しました。
自由な思想は禁止された
文部省は『国体の本義』を作成し、神話をもとに国体の尊厳と天皇の神格性(「現御神」)を説き、国民精神を高めようとしました。日中戦争の開戦後、自由主義や社会主義への弾圧が一層強化されました。
矢内原忠雄は政府の大陸政策を批判して、東京帝大を追われました。人民戦線事件では、反ファシズム団体の結成を計画したとして、日本無産党の指導者やマルクス主義経済学者の大内兵衛らが検挙されました(共産党員でなくても治安維持法を適用)。
また、火野葦平『麦と兵隊』など従軍経験による戦争文学が登場しましたが、石川達三『生きてゐる兵隊』は発禁処分になりました。
日中戦争開始後の国民の経済活動について
〔第1次近衛内閣〕は「挙国一致」などのスローガンを掲げて国民精神総動員運動を推進し(1937~)、戦争協力を求めました。さらに、職場ごとに産業報国会を結成させ、労資一体を促進しました。また、軍事費を急増させるとともに、内閣直属の企画院を設置して経済統制を強めました。
さらに、国家総動員法(1938)で、政府は議会の承認なしに勅令を発して労働力や物資を統制する権限を得ました。議会が立法権の一部を政府へ譲り(授権立法)、議会の審議が形骸化したのです。のち、軍需産業へ動員する国民徴用令や公定価格を定める価格等統制令が出されました(1939)。
一方、軍需優先のなかで民需が制限され、「ぜいたくは敵だ」のスローガンのもと、日用品の切符制(事前配布の切符を添えて購入)、米の配給制(購入量の一定制限)、生産者への供出制(強制買上げ)が実施されました。
山中 裕典
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