(写真はイメージです/PIXTA)

2023年4月9日に植田総裁が就任し新体制をスタートさせてから、約7ヵ月程経過した日銀。政策の修正や情報発信はどのように変化したのでしょうか。本稿ではニッセイ基礎研究所の上野剛志氏が、植田日銀がこの7ヵ月で行った金融政策について解説します。

2)発足後7カ月の評価

(1) 政策運営について

以上を踏まえて、植田日銀の7カ月間を筆者なりに評価すると、政策運営については概ね適切であったと受けとめている。この間にYCCの形骸化を進めたことは前向きに評価できる。

 

中央銀行が長期金利を操作する、とりわけ低位に抑え込むというYCCは世界的に見ても歴史的に見ても異例の措置であり、ある種劇薬と言える。

 

実際、その副作用は大きく、長らく債券市場の機能度に悪影響を与えてきたに留まらず、昨年にはYCの歪みを発生させて市場に多大な悪影響をもたらした。

 

植田日銀が、このように副作用が目立っていたYCCの上限を大きく引き上げ、形骸化を進めたことは金融緩和の副作用を是正するという面で効果が期待できる。

 

また、YCC柔軟化の主目的ではなかったとみられるものの、今のうちに長期金利など市場金利に動く余地を与え、水準を緩やかに引き上げておくことは、金融政策正常化の段階での急騰リスクを抑制することにも繋がり得る。つまり、将来の正常化に向けた布石が打たれたという側面もある。

 

 

YCCの柔軟化を進めたことで長期金利の水準は約10年ぶりの水準にまで上昇しているが、この間、同時に市場の予想物価上昇率(ブレークイーブン・インフレ率)も大きく上昇してきたため、実質金利(長期金利-ブレークイーブン・インフレ率10年物)の水準は、異次元緩和後の平均的なレベルに留まっている。

 

つまり、金融環境を大きく引き締めることを回避しつつ、柔軟化を進めることが出来たことになる。

 

ただし、足元で賃金と物価の好循環や物価の基調の高まりの兆しが見えつつあることに対する植田日銀の貢献は限定的であり、その主たる原動力は外的ショックであったと考えられる。

 

具体的な波及経路としては、

「(1)コロナ禍による供給制約が残る中で経済活動が再開され、世界的に物価が急上昇、さらにロシアによるウクライナ侵攻による資源・エネルギー高が拍車をかける形に

→(2)海外中央銀行が物価急騰を抑えるために急速な利上げを実施

→(3)世界的な資源・エネルギー高に海外利上げに伴う円安が加わったことで輸入物価が急騰して国内でも価格転嫁が押し進められ、物価が大きく上昇

→(4)近年にない物価上昇を受けて、世論や政治からの賃上げを求める声が高まり、もともと企業内で高まっていた人手不足への警戒感と共鳴する形で賃上げが加速

→(5)輸入物価高の価格転嫁が長引く中、人件費増がサービス価格へ波及する可能性も高まりつつある」

という連鎖反応が起きた。

 

物価の上昇によって実質賃金の伸びはマイナス圏に落ち込んでいるものの、コロナ禍における強制貯蓄と経済再開に伴うペントアップ需要の発現が消費の支えとなり、景気の失速は回避、円安による輸出採算の改善も相まって、企業収益も改善基調が維持されてきた。

 

この間に日銀が緩和を維持したことも円安を助長し、足元の状況に多少寄与した面は否めないものの、主因・きっかけは海外発の資源・エネルギー高と利上げと考えられる。現に、黒田日銀では10年間にわたって大規模な緩和が継続されたが、賃金と物価の好循環は限定的であった。

 

 

 

なお、円安を是正するために植田日銀は金融緩和を続けるべきではないとの意見もこれまで見受けられてきたが、春以降、円安の原動力となってきた日米金利差拡大の主因は米金利の大幅な上昇である。

 

米金利以上に日銀が金利を高めに誘導すれば円高が進む可能性が高まるが、その分実質金利が上がり、景気への逆風が強まるため、容易ではなかっただろう。

 

(2) 情報発信(対話)について

他方、植田日銀のこれまでの情報発信は課題を残したと考えている。植田総裁の会見は極力平易な言葉を用いて論理的に語られており、「より多くの国民に分かりやすく説明しよう」という姿勢が伝わってくる点は好感が持てる。

 

ただし、市場との対話については円滑に行われたとは言い難い。2度にわたるYCCの柔軟化に際しては、日銀から予兆が発せられず、市場の織り込みが乏しいなかで唐突に実行された印象がある。

 

YCCには「市場に先んじて織り込まれると金利上昇圧力によってYCに歪みが生じてしまう」という構造的な欠陥があるため、致し方が無い面はあるにせよ、もう少しやりようもあっただろう。

 

こうした事例が続けば、日銀の政策運営と情報発信に対する市場の信頼性が損なわれかねない。

 

また、金融政策の先行きに対する指針が不十分である点も課題と考えている。植田総裁は金融政策の正常化に絡んで、「仮に物価の中心的な見通しが2%を超えていても、それに付随する確率(確度)が低い場合には政策変更に至らない可能性がある」との主旨を述べているが、確度を示す指標があるわけでもなく、「日銀がどれだけ確度を持っているか」について外部からうかがい知ることは難しい。

 

さらに植田日銀は、金融政策正常化に踏み切る条件や時期、正常化の手順についての具体的な手掛かりを殆ど提示していない。

 

植田総裁も正常化に関連した問いに対しては「その時点の経済・金融情勢次第」、「決め打ちできない」など曖昧な回答が目立つ。政策の自由度を確保しておくという狙いがあると推測されるが、行き過ぎれば不要な思惑を招き、市場が不安定化する事態もあり得る。 

 

是非に関する議論はあるものの、3ヵ月に一度、委員による政策金利の見通しを公表しているFRBとの格差は大きい。

 

3)今後の課題

このように、一部課題はあるにせよ、発足後の植田日銀の政策は望ましい方向に進められたと考えている。しかし、植田日銀は今後も難しい舵取りを迫られる。むしろ、これからの方がより難易度が高いはずだ。

 

まずは、経済・物価情勢を見極め、可能であれば、適切なタイミングで金融政策の正常化に踏み切る判断をしなければならない。正常化が早すぎれば、物価目標の持続的・安定的達成を阻害しかねない一方、遅すぎれば、正常化の機会を逸したり、(可能性は低いと思うが)ビハインド・ザ・カーブに陥ったりするリスクがある。

 

日銀、預金取扱機関、海外の国債保有シェアそして、正常化を進める際には、市場や景気に過度の悪影響を及ぼさないように、正常化の手順やペースを調整する必要がある。

 

日銀はこれまで、国際的に見ても極めて大規模な金融緩和を実施してきたため、手を引く際のインパクトも大きくなる可能性が高い。また、日銀は超低金利政策を長期にわたって続けてきたため、多くの市場参加者は利上げや金利上昇に不慣れだ。従って、今後はますます市場との対話の重要性が高まることになる。

 

また、現在は物価高をもたらす円安を抑制することが政治的に優先されており、金利が上昇していることに対する政治からの反発は目立っていないが、本来、金利上昇は財政出動の制約になりやすい。

 

特に短期政策金利の引き上げについては、住宅ローンの変動金利上昇を通じて多くの国民に負担を及ぼすだけに、世論を気にする政治を突き動かすかもしれない。今後、正常化を進める際には、政治との対話力も試されることになる。

次ページ2.日銀金融政策(10月)

※本記事記載のデータは各種の情報源からニッセイ基礎研究所が入手・加工したものであり、その正確性と安全性を保証するものではありません。また、本記事は情報提供が目的であり、記載の意見や予測は、いかなる契約の締結や解約を勧誘するものではありません。
※本記事は、ニッセイ基礎研究所が2023年11月8日に公開したレポートを転載したものです。

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