結婚式をドタキャンした石川啄木
1905年5月30日、石川啄木の妻となった節子は、人生最良の日を迎えるはずであった。だが、その日に盛岡で結婚式が行われるというのに、東京を出発したはずの啄木はなかなか迎えにこない。ふたりは結婚式を挙げたあと、東京で生活する予定だった。
新生活に向けて、節子は身の回りのものをすでに風呂敷にまとめていた。しかし、啄木からの電報は一向に届かない。友達からは「いつお立ちになるの?」「ご出発の時間を教えてください」と問われるなか、節子も不安をつのらせていく。
そもそも、なぜ啄木は東京にいるのか。
啄木が盛岡から上京したのは、1904年10月31日のことだ。その年の年始に節子との婚約が決まったため、東京での生活基盤を整えようと啄木だけがいち早く故郷をあとにしている。はじめての詩集『あこがれ』さえ刊行できれば、詩人として東京で新婚生活が送れるはずだと、啄木は考えていたらしい。
このとき啄木も節子も18歳。若いふたりの見込みがあまりに甘かったことは、いうまでもない。啄木が東京で東奔西走するも、詩集の出版を引き受けてくれるところなど、どこにもなかった。年が明けて3月になって、ようやく詩集刊行のメドがつく。しかし、それは自費出版というかたちになった。
これでは、東京で節子との新婚生活を送ることなどできそうにもない。しかも、悪いことは続くもので、住職だった啄木の父が宗費を滞納して、住み慣れた宝徳寺から追放されてしまう。実家にも頼れない啄木は、友人から借金を重ねていく。やがて下宿先からも出て、友人の家を転々としている。
妻が迎えに来るのを待っているのに、なかなか盛岡に帰らない啄木。心配になったのは、在京の友人たちだ。「とにかく帰れ、旅費は工面してやるから」とまで友人に言われているのに、啄木は「式を挙げたとて、これからの世帯道具も買わなければならない」と言って、グズグズしている。
啄木が重い腰をあげて東京を発ったのは、5月20日のこと。そこから間に合うように、5月30日に結婚式の日取りが決まったようだ。
だが、啄木はまだ現実と向き合うことができなかった。ここからさらに逃避行を続けるのである。
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