自社の特徴や役員の経歴を精査することで見えてきた出世ルート
後に振り返ると、結果的にこの異動は大正解でした。
Aさんは非常に分析力があったため、自社の特徴を精査してみたそうです。すると、マーケティングが花形と言われながらも、役員の8割が、営業で極めて高いパフォーマンスを挙げた経歴を持っていました。
つまり、この会社の“コア”は営業にあったのです。マーケティング部門が「花形」とされる会社ですが、実際には、営業で卓越した実績を残した人が、その後にマーケティングを経験しているに過ぎないということです。
言い方を換えると、「マーケティング部門の経験が長く、営業部門の経験が短い人は、経営陣のなかにはいない」。Aさんは持ち前の洞察力で、そのあたりの事情を完全に読み切っていたのです。
8年間の厳しい営業経験を地方で積んで本社へ
Aさんは31歳で創業の地へ異動して8年間身を置き、まさに「火中の栗」を拾うかたちで多くの実績を挙げました。
後々、Aさんが社内の全従業員のたった5%が対象の「リーダープログラム」の一員に20代の頃から選ばれていたことが明らかになっています。もちろんこれは、本人には知らされていなかったことです。
ですから、自ら望んで厳しい環境に飛び込まずとも、ステップは登れたのかもしれません。
しかし、社内で嫌がられている部門に30代前半で自から名乗りを上げて乗り込んで行った大勝負に出たことが、Aさんの社内でのプレゼンスを高めたことは間違いないでしょう。
そして、Aさんは創業の地から本社に呼び戻され、経営企画室に配属されました。同時に社費でのMBA取得メンバーに抜擢されています。その後は海外駐在を4年、財務部を3年、本社の有力営業セクションの所長を務めるなど、絵に描いたような出世コースを歩み、40代で執行役員に抜擢されました。
経営者をめざすには欠かすことのできない「積極性」と「献身性」
頭脳明晰かつ朗らかな人柄のAさんは、会社が敷いたレールにそのまま乗っていても遅かれ早かれ重責を担ったはずです。しかし、最年少執行役員の席を勝ち取ることができた要因は、自から厳しいセクションへの異動を名乗り出たことにあるはずです。その行為によって、5年程度はキャリアの展開を早めたのではないでしょうか。
会社で長く勤めたい、活躍したいという場合、あなた自身のやりたい仕事というのは最優先される事項です。ですから、「やりたい仕事」をめざして研鑽し、異動希望を出すのはセオリー中のセオリーといえます。
ただ、会社にとっての重要な役割や、その部署が越えなければならない壁、クリアしなければならないプロジェクトをくまなく見渡して、自分からそこに飛び込んで実績を挙げることも考えるべきです。
ことわざにもあるように「言うは易し行うは難し」。なかなかできることではないかもしれませんが、その積極性と献身性は、目の前の仕事をこなして実績を挙げていくことと合わせて、経営者をめざしていくからには欠かせない要素になるはずです。