トップキャリアをめざして確実にステップアップしていくなら、押さえておくべきノウハウがあります。本稿では、東京エグゼクティブ・サーチの代表取締役社長・福留拓人氏が、大手食品メーカーで花形のマーケティング部門から、あえて厳しい営業部門への異動を希望して実績を残し、結果的に副社長にまで登り詰めた人物を例に挙げ、経営者をめざす人に欠かせない「姿勢」について解説します。
花形のマーケティング部門→「火中の栗」の営業部門へ…自らの希望で異動した社員の出世が〈5年早まった〉ワケ【転職のプロが解説】 (※写真はイメージです/PIXTA)

新卒で希望どおりに花形のマーケティング部門に配属されたが…

筆者がコンサルをしていた大企業で実際にあった事例で、あえて「火中の栗」を拾いにいったことが機縁で想定以上の副社長にまで登り詰めたAさんのエピソードを紹介します。

 

Aさんは大手食品メーカーで、大学卒業から定年退職まで立派なキャリアを全うしました。キャリアのスタートはマーケティング部門で、それは入社前からの希望だったそうです。この食品メーカーは優れたマーケティングで世界的に実績が知られている会社であり、Aさんも非常に楽しそうに仕事をしていました。

 

この会社のマーケティング部門は、営業の第一線で経験を積んで実績を出した人が異動してくる部署でした。

 

ところが、Aさんは珍しく新卒でマーケティング部門に配属されました。そのせいで、同期に限らず先輩や後輩からも嫉妬されていたようです。多くの社員がマーケティング部門での活躍を夢見ているのですから、仕方のないところかもしれません。

 

それほど“花形”としてのマーケティングが知られた会社なのです。

 

Aさんは優秀で上層部に期待されていたからこそ、新卒で花形部署に配属されたのでしょう。その結果、20代でたしかな実績を残し、最年少でマネージャーに昇進しました。筆者がみていても非常に順調な滑り出しでした。

誰もが避けたがる地方都市の営業部門へ直訴して異動

Aさんの嗅覚が優れていたのは、新卒でマーケティングに配属されたときに「なぜ自分なのか」「この配属にはどんな意味があるのだろう」と常に自問自答していたことです。そして、会社の内部をよく観察してみると、とある地方都市が、「創業の地」として重要視されていることがみえてきました。

 

その地域の営業部門は非常にクセの強い大手量販店を担当しており、その艱難辛苦を経験した営業マンは出世するという、都市伝説ならぬ“社内伝説”がありました。ところが、出世確実と言われて行きたがる人は多くありません。それくらい負荷のかかる厳しいセクションとして、伝統的に知られている訳です。

 

創業の地でありながら、非常に厳しい環境であることは社内で有名な話でした。しかし、Aさんは結婚して家族も増えた30代の半ばに一大決心をして、この部門への異動をみずから直訴しました。

 

Aさんは早めに自分が難局に打って出て、誰もが嫌がるその地域の営業を自分から希望し、結婚後間もないにも関わらず、単身赴任で現地に乗り込みました。赴任してみると、いまでいうパワハラ気質な職場環境で、噂通り顧客の舵取りも簡単ではありませんでしたが、厳しい営業活動に粘り強く取り組みました。