バブルの原点となったフロリダの不動産ブーム
ここでいま一度、1920年代の米国の歴史を俯瞰してみると、1929年10月の「暗黒の木曜日」に向かう兆しが、すでに10年近く前のフロリダから始まっていた。
フロリダにおける不動産ブームは、1920年代は信じられないほどの熱狂とともに、莫大な富を生み出し、それは同時に、米国人の生活様式が急激に変化した時代であった。
この不動産ブームは、米国史上最大とも言える人の“移動”を生み出した。加えて、米国人以外の投資家、投機家の面々が、湿地帯だった場所から急速に発展した美しく人目を惹くにぎやかな新都市に群がった。
別の視点から見れば、このフロリダのブームは、米国の生活スタイルの進歩と新たなる多
様化文明を生み出していった。ブームが始まって以来わずか5年で、フロリダの中心都市であるマイアミの人口は3倍に膨れ上がった。
フロリダにおいては、ギャンブルも飲酒も容認されていた。
このこともフロリダのブームをおおいに後押しした。大物や実力者(財閥)、有名人に加え、詐欺師までもが押し寄せた。心地よい日差しのなかで、新しくまばゆいばかりの米国の「フロンティア・スピリッツ」は喧伝され、利用され、活用されていった。
強欲にまみれるフロリダのデベロッパーたちは、主要都市に不動産営業所を構え、動く看
板のごとくリゾートを宣伝し、人々を興奮させた。
この時期にはすでに不動産価格が高騰し始めていたので、フロリダに関心を抱く人々には、史上最大の不動産ブームのファーストフロアに入る最後のチャンスのように見えたのであろう。
そうなってくると、フロリダの不動産投資ブームは全米を巻き込むこととなった。米国の
富裕層以外の投資家(財閥)、投機資金、平均的な米国人が不動産や開発の一部のオプションを購入するまでになり、おびただしい数の人々がフロリダに殺到した。
これまでの米国の歴史のなかで最大の不動産取引が行われたことから、当然ながら、不動
産バブルが膨れ上がった。
例えばこんな出来事があった。海辺の一等地のリゾート開発について、新しいセグメントが売り出されると発表され、それと同時に誇大宣伝がこれでもかと打たれた。物件・権利を購入したいがために投資家たちがたかってきて、その数は異常なほど。
投資家たちの小切手がいたるところで飛び交い、確認するのも難儀であった。そしてその日に幸運至極にも購入できた高額物件・権利はわずか3、4日後に、3倍もの値段で転売された。
まさしく、人間の狂気からくる土地投機への狂乱の極みと言えた。
フロリダ州の不動産市場に多くの外部投資家が容易に参入できたことも、価格高騰を後押
しした。
1920年代のフロリダの繁栄は米国中の投資家たちに、不動産バブルの格好のリゾート地、熱帯の楽園のイメージを植え付け、魅了するに至った。
デベロッパーがニューヨークのタイムズ・スクエアで「マイアミは6月だ」とする巨大な
広告を掲載すると、瞬く間にフロリダの土地価格は上昇し始めた。
価格の高騰と軌を一にして、新規プロジェクト数は膨大な数に上った。
しかしながら、「買うから上がる。上がるから買う」といった狂乱が最高潮に達したとき、投機は終わるのである。