米国「26万円以下」のコンパクトカー、追突事故発生…→自動車会社が「約196億円」もの損害賠償を請求されたワケ

米国「26万円以下」のコンパクトカー、追突事故発生…→自動車会社が「約196億円」もの損害賠償を請求されたワケ
(※写真はイメージです/PIXTA)

1960年代後半、米国でフォード社が事故の損害賠償として「1億5100万ドル(約196億円)」を支払うよう評決された「フォード・ピント・ガソリンタンク訴訟」について、NY州弁護士・秋山武夫氏が解説していきます。 ※ドル対円の換算率を便宜的に1ドル130円で計算しています。

「2000ドル以下」破格のコンパクトカーが起こした事故

「人間を数値として扱った」ことで、高額な「懲罰的損害賠償」を課せられた訴訟があります。「フォード・ピント・ガソリンタンク訴訟」です。

 

1960年代後半、ドイツのフォルクスワーゲンはじめトヨタ、ニッサンなどの輸入小型車に押されていた米国のフォード社は、巻き返しのためサブコンパクトカーの開発に乗り出しました。開発期間を大幅に短縮して、1971年、2000ドル(26万円)以下という破格の値段で売り出されたのがピントでした。

 

ねらいどおり人気車となりますが、追突事故で強引な開発の実態が明らかになっていきます。1972年5月28日、カリフォルニアの高速道路を走っていたピントは突然エンストを起こし、道路の中央で停まってしまいました。後続していた車は避けられず約50キロの速度で追突、その瞬間、ピントは炎上し車内は炎に包まれます。

 

後部に配置されていたガソリンタンクが追突で押し出されて穴が開いたため、車内にガソリンが吹き出し引火したのです。

 

運転していたリリー・グレイ(Lilly Gray)さんは火傷により数日後に死亡し、同乗していた当時13歳のリチャード・グリムショー(Richard Grimshaw)さんは一命はとりとめたものの身体の90%にやけどを負い、その後10年にわたって皮膚移植をはじめ60回以上の手術を繰り返さなければなりませんでした。

 

事故から5年後の1977年夏、被害者のグリムショーさんとグレイさんの遺族が訴訟を起こします。相手は追突した運転手ではありませんでした。ピントに欠陥があるとしてフォード社に製造物責任(PL)を求める裁判を起こしたのです。

 

裁判では、フォード社の元エンジニアらの証言によりピント開発の経過が明らかになっていきます。

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※本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『司法の国際化と日本』(幻冬舎MC)より一部を抜粋したものです。

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