正面玄関のドアを「ドンドン」…一日中険しい表情の佐藤さん
ある日の朝、佐藤さんは正面玄関のドアを「ドンドン」と叩いています。私が、佐藤さんの斜め前に立って、いくらなだめても手を振り払うほど激しい行動を取るのです。「天気や気圧の影響があるのかな?」と思いつつ、その日の佐藤さんは一日中非常に険しい表情を浮かべていました。
そして翌日の佐藤さんは、また柔和な表情のいつもの佐藤さんに戻っていました。私としては「まあ、たまたまだな」くらいに軽く考えていました。
そしてひと月ほど過ぎたある日、また佐藤さんは前回と同様に、激しい表情で正面玄関のドアを「ドンドン」と叩いているではないですか。そこで、一体何が理由なのであろうかと少し離れたところから、佐藤さんの行動や言動を、じっくりと観察してみました。
その時分かったことは、佐藤さんは、よく黒いセカンドバッグを持って歩いているのですが、そのバッグを「激しく握り締めている」のです。
このような繰り返しが、約3ヵ月程度続いた月末の昼食時、スタッフから緊急の連絡がありました。
それは、「佐藤さんが2階のレストランの窓から飛び降りた」というのです。
私は、急いで階段を駆け上り、2階レストランに行ってみました。そして、窓から外に目を向けると、歩道を一生懸命歩く佐藤さんの姿を見つけました。
佐藤さんは、歩道を足を引きずりながら、駅の方面に向かって歩いているのです。
私は、老人ホームから駆け出し、すぐに佐藤さんを追いました。そして佐藤さんにやっとの思いで追いつくと、佐藤さんは脚をひどく骨折しているではありませんか。
私は佐藤さんを驚かせないように、ゆっくりとした口調で声を掛けてみました。
「佐藤さん、良い天気ですね。どちらにお出掛けになるのですか」
その時、佐藤さんは必死の表情で私に言葉を発したのです。
「お金を入金しなければ」
その時、初めて私は理解することができたのです。そう今日も月末、そして佐藤さんが、月末になると激しく正面玄関のドアを叩く理由が。