(※写真はイメージです/PIXTA)

新妻健氏の著書『オールガイド 日本人と死生観』より一部を抜粋・再編集し、日本人の死生観の根底にある「無常観」についてみていきます。

「死を気軽に考えている江戸時代人」

既に寺田寅彦(1878~1935)は、昭和10年の「日本人の自然観」という論文で、

 

「仏教が遠い土地から移植されてそれが土着し発育し持続したのはやはりその教義の含有するいろいろの因子が日本の風土に適応したためでなければなるまい。思うに仏教の根底にある無常観が日本人のおのずからな自然観と相調和するところのあるのもその一つの因子ではないかと思うのである。

 

鴨長明の方丈記を引用するまでもなく地震や風水の災禍の頻繁でしかも全く予測し難い国土に住むものにとっては天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって五臓六腑にしみ渡っているからである」(『寺田寅彦随筆集第五巻』岩波文庫 1977年)と述べている。

 

地震・津波・台風・火山などの自然災害だけではない、病気もまた人々を死に追いやった大きな暴威だった。江戸時代はもちろん、太平洋戦争以前、コレラ・疱瘡・麻疹などによる病死は日常的なもので、特に幼児死亡率は高く、

 

「出生児十人のうち六歳に達するのが七人以下、十六歳まで生存できるのは五、六人にすぎなかった」(鬼頭宏『日本二千年の人口史』、渡辺京二『江戸という幻景』弦書房 2004年より引用)。

 

こうしたことを挙げながら、渡辺京二は「死を気軽に考えている江戸時代人」の「かすかに哀愁を帯びながら徹底的に明るい虚無感」の背景の一つに、「人間いつ死ぬかわからないという」当時の人々の無常観を指摘している。

 

小林一茶(後述)は娘のさとが数え2歳で死んだ時、「露の世は露の世ながらさりながら」(『おらが春』)と詠んだが、自然災害と病気の脅威の前には露の如くはかないこの生、との思いが日本人の無常観を強くしたことは当然である。

 

 

**********

 

新妻 健

 

昭和24年、福島県いわき市生まれ。東北大学文学部(史学科)卒業後、同大学院修士課程(日本思想史学)修了。福島県の高校教員となり平成22年退職。「日本文芸研究会」会員。

本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『オールガイド 日本人と死生観』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

人気記事ランキング

  • デイリー
  • 週間
  • 月間

メルマガ会員登録者の
ご案内

メルマガ会員限定記事をお読みいただける他、新着記事の一覧をメールで配信。カメハメハ倶楽部主催の各種セミナー案内等、知的武装をし、行動するための情報を厳選してお届けします。

メルマガ登録
会員向けセミナーの一覧