「資本主義」と対比…日本的経営の基礎原理「人本主義」
伊丹敬之著『人本主義企業:変わる経営 変わらぬ原理』(ちくま学芸文庫、1993年)および『経営の未来を見誤るな:デジタル人本主義への道』(日本経済新聞社、2000年)では、日本的経営の基礎となる原理を「人本主義」として論じている。
「人本主義」とは、「人が経済活動の最も本源的かつ希少な資源であり、安定的な人のネットワークをつくり維持することを経済組織の編成原理とする」と定義している。資本主義を、「カネを経済活動の最も本源的かつ希少な資源と位置付け、カネの提供者のネットワークをどのようにつくるかを経済組織の編成原理とする」と定義し、「人本主義」を「資本主義」と対比する概念で用いている。
伊丹は日本的経営を終身雇用、年功序列、企業別組合、系列などの制度・慣行のレベルで表現しては本質を誤り、日本的経営の原理である「人本主義」に遡って考える必要がある、日本企業を取り巻く環境が変わっても、原理を変えてはならず、環境変化に対して経営の制度・慣行を変える必要がある、と指摘する。
日本型「人本主義」と米国型「資本主義」
伊丹は、企業システムは①企業主権の概念(企業は誰のものか)、②組織内シェアリングの概念(誰が何を分担し、どんな分配を受けるか)、③市場取引の概念(企業同士はどうつながり合うか)、の3つの概念でその特徴を把握できるとして、日本型人本主義と米国型資本主義とを対比している。
企業は誰のものか?:米国は「株主のもの」、日本は「働く人々のもの」
企業は誰のものか? という問いに対する日本企業人の一般的観念は「働く人々のもの」であり、多くの経営者が「企業は人なり」と考えている。会社は「株主のもの」であり株主の価値を大きくしようとする米国型の株主主権経営と、日本型の従業員主権の経営とは、常に対立の関係にあるわけではないが、生み出した付加価値の分配の優先順位や危機の際にどちらの利益をまず優先するかという順序が異なる。
以上の企業主権に関する概念整理の上で、伊丹は、競争力の源泉になっている「働く人々」が企業の主権をメインに持つ従業員主権は経済合理性の高い原理であり、だからこそ日本の産業発展に貢献してきたと指摘する。
例えば、終身雇用的慣行は、終身であること自体に意味があるのではなく、終身雇用が体現する従業員主権という原理によって多くの人々が企業活動に積極的に参加するという状況がつくれたからこそ、日本企業の発展において機能してきたと論じている。
情報、カネ、権力の行き場:米国は経営トップに集中、日本は平等に分散
企業組織においてシェアされる3つの要素である、①インプットとしての「情報」、②アウトプットとしての「付加価値」(カネ)、③2つを結ぶ「意思決定権限」(権力)を、誰がどのように持ち、あるいは共有されるのか。
米国企業は経営トップに情報、カネ、権力の3要素が集中する「一元的シェアリング」の傾向が強い。これに対して日本企業は、3要素によってシェアリングパターンが異なり、全体として経営トップから社員までの公正性、平等性が保たれる「分散シェアリング」傾向が強い。例えば、意思決定における「ボトムアップ」は、権限のシェアリングにおける平等性が高いことを意味する。
以上の組織内シェアリングに関する概念整理の上で、伊丹は、日本企業の分散シェアリングという原理も、平等性によるチームとしての職場集団の維持や人々の多様な欲求に応え得ることから、経済的合理性が高いと論じている。
市場取引:企業同士はどうつながり合うか?
市場における企業間の関係のあり方について、米国型資本主義は「自由市場」、すなわち、一つの取引ごとに対等な財の売り手と買い手が自由に取引条件の交渉を多くの相手と行い、その中で最も自分にとって有利な相手と取引をする、もし条件が合わなければいつでも退出の自由があることを特徴とする。
これに対して日本の企業間の市場取引は、長期的、継続的に少数の企業と取引をすることによって協力関係をつくりだそうとする傾向がある。伊丹は、この日本の市場取引の概念は、自由市場の概念に同じ仲間と共通の目的を達成するよう協力する「共同体」の原理が浸透したものとして、「組織的市場」と名付けている。
伊丹は、この「組織的市場」の原理も、協力関係が生まれ、調整がうまくいき、共同開発もやりやすいために、経済合理性が高いと論じている。
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