(※写真はイメージです/PIXTA)

NY州弁護士・秋山武夫氏の著書『司法の国際化と日本』より一部を抜粋・再編集し、「司法の国際化」が急速に進む今、日本はどう対応するべきか、日本企業はどう生き延びていかなければならないのかを考えていく本連載。この記事では「米国人が訴訟を多く起こすワケ」について見ていきます。

「民間の力」で社会悪を制する

「米国人は訴訟好き」。日本ではよくそう言われていますが、一般の人が「訴訟のような面倒なことはできるだけ避けたい」と考えるのは、米国人も日本人も変わりありません。

 

民間の契約で解釈の違いが生じることは珍しくありませんが、そのたびに「出るところに出よう」と裁判に持ち込めば費用も時間もばかにならず、健全な経済活動ができなくなってしまうでしょう。通常は当事者どうしで話し合い、友好裏に問題を解決しようとするのです。

 

そのため米国では、第三者を介して和解を模索する「調停」や、裁判官ではなく民間の第三者に決定を委ねる「仲裁」など、訴訟以外の代替手段(Alternative Dispute Resolution, ADR)が充実しています。これに対し、国が政策として積極的に訴訟を推奨しているケースもあります。

 

世の中には刑法違反のような悪質な行為から、単なる契約違反に至るまで、幅広いレベルの問題があります。殺人や窃盗、詐欺などは、当然、刑事事件として扱われ、警察は容疑者を探して逮捕し、検察は裁判にかけて罰しようとするわけですが、これに対したとえば、

 

「ある企業が有毒な廃液を撒き散らして近隣の市民の健康を害しているらしい」

 

とか、あるいは

 

「十分な安全対策を講じぬまま危険な商品を販売し続けて消費者をリスクにさらしているようだ」

 

などといった問題ある行為すべてに対し、国が刑法違反と指定し、国民の税金を使って訴追するようなことは現実的ではありません。

 

そこで米国では、一般の人たちが訴訟を起こしてこのような悪質な行為を糾弾し、抑止するインセンティブを用意しています。民間人の訴訟を奨励し、報奨を与えるのです。

 

被害を被った一般の市民に訴訟を起こすインセンティブを与え、民事裁判によりこれを糾弾し、将来起こるかもしれない同じような問題を未然に防ごうという仕組みです。

 

民間の手で悪を駆逐しようという仕組み、「民活」です。シビリアンコントロール、言い換えれば、国と民間とのパートナーシップにより社会を健全に保っていく仕組み、と言えるでしょう。

 

米国では「小さな政府」を求める価値観が強く浸透しています。18世紀、英国という「大きな政府」から独立し、何もないところから自分たちで国を作ってきた歴史の影響でしょう。

 

政府とは個人との契約で成り立つものである。国家を運営するのはあくまで市民である。

 

問題が生じればまず市民自らが解決にあたるべきであり、むやみに政府(検察や警察)が口を出すべきではないという考えでしょう。国が訴訟を奨励するのは、このような「小さな政府」の考え方に後押しされながら、米国の社会を健全に保つ仕組みとして用いられています。

次ページ「悪質な行為」を罰する「懲罰的損害賠償」

※本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『司法の国際化と日本』(幻冬舎MC)より一部を抜粋したものです。

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