辛抱強く問題に向き合えるかどうかが、勝負の分かれ道
前回からの続きです。解けない問題に様々な角度からアプローチし、試行錯誤して答えを探す数学は「失敗を繰り返す」ため、挑戦を恐れないメンタルセットに加えて我慢強さが必要です。
解法を色々試す過程では、せっかく長い時間をかけて解いていた式でも「これだと答えが出ない」と気づいたら途中できっぱりやめ、方向性を変えてまた最初からやり直さなければなりません。
『新数学スタンダード演習』をやっているときも、「今までの面倒くさい計算が水の泡だ」と投げ出したくなることが山のようにありました。かといって、解答を見てしまったら、それこそ今まで向き合っていた時間が無駄になってしまうので、一息ついてからコツコツと別の方法でアプローチし続けました。
「すべての道はローマに通ず」という言葉がありますが、数学は、ローマに向かって道を歩いていくようなものです。ただし歩いている途中、穴があったり壁があったり工事中で進めない道があるので、そうしたら最初、あるいはひとつ前の道まで戻り、別の道を探すのです。
見つけやすい大通りを通ってすんなりゴールできる場合もあれば、細い裏通りを何度も曲がり、迷子になりかけてゴールする場合もあります。この細い道を見つけるまで辛抱強く問題に向き合えるかどうかが、解けるか解けないかの違いを生みます。
数学を解くときに必要なのは、ハッとひらめいて新しい道をつくり出す創造の才能ではなく、時間をかけ迷いながらも、確実に存在する道を見つけられる忍耐力なのです。私の中学・高校時代を思い返すと、毎年先生は替わるというのに、数学の授業内容はほとんど同じ単調なものでした。
まず、先生が教科書から問題を出し、「わかった人は手を挙げて」と言います。最初に手を挙げて指された人が黒板に数式と答えを書き、先生が正誤を判定してから解説となります。たとえ私がその解説を理解できなくても授業はどんどん進み、さらに黒板の式をノートに写していると解説が頭に入らなくなるため、だんだん何が何だかわからなくなり、 最終的には「授業を向いていても意味がない」と投げ出していました。
「オタク」属性の人々は粘り強い!?
問題が解けるまで向き合う時間も、理解するための時間もなく、数学をどんどん嫌いになるしかなかったのも当然だと思います。数学は、「正しいか間違いか」とか「速く解けるか」なんてことばかり重要視されるから、みんなどんどん拒絶するようになってしまうのです。
本当は「根気よく努力すれば結果が得られる」と実感することが、数学で身につけるべき最も大切なことなのです。
シェーンフェルド教授は「忍耐があればみんながすぐ投げ出してしまうことに何十分もかけて取り組める」とし、それがすべてにおいての成功の秘訣だと言いました。忍耐が必要なのは数学だけでなく、国語や英語もそうですし、勉強以外のほとんどのことにも当てはまります。そして、ひとつの分野で根気強く頑張る姿勢を学べば、必ず他の分野にもつながっていきます。
何かを熱心に取り組んでいる人は、大抵他のことをやっても頑張れます。比較文化心理学者のプリシラ・プリンコによる調査で、小学1年生を対象に難しいパズルをやらせたところ、アジア人はアメリカ人よりも長時間、粘り強く挑戦する国民性をもっていることがわかりました。
日本ではアニメや漫画、アイドルなどに熱中する人たちが大勢いて、そういう人たちを「オタク」などと呼びますが(私もオタクですが)、そうした「ひとつのことを掘り下げて しつこいくらい追求する」ことは、まさしく粘り強さかもしれません。
数学を得意とする理系には「オタク」が多いイメージがあります。それこそ「数学は才能ではなく粘り強さ」であるのを裏づけているのではないでしょうか。