旧行動計画:企業&金融機関の資金調達・投資促進
資本市場には様々な金融機関や投資家が参加している。株式や債券を発行する企業、投資信託などのファンド取扱業者、個人や機関投資家(保険会社や年金基金など)が参加しており、銀行は金融債の発行者として、また、様々な金融商品の買い手として参加している。
市場で売買される金融商品には数多くの種類があり、リスクやリターンの特性も異なっている。大まかなルールは同じでも、証券の保有権や税金の処理など細かなルールが加盟国ごとに異なる点があり、これがクロスボーダー取引を難しくしていた。さらに、金融市場では次々に新しい金融商品が開発されており、新技術の導入も進んでいる。
資本市場同盟では、EUの統一ルールを策定して資本市場の使い勝手を向上させるとともに、新技術や金融商品にも対応させようとしている。2015年の行動計画の後に2017年の中間評価でフィンテック分野などが行動計画に取り入れられ、2020年の新行動計画ではデジタル化やグリーンディール(『ヨーロッパ、「環境対策」を武器に世界制覇を狙う!?…EUのスゴい戦略〈グリーンディール〉9つの項目』を参照)への対応も進めている。まずは、旧行動計画から見ていこう。
【資本市場同盟の旧行動計画】
①スタートアップ企業や非上場企業の資金調達
ベンチャーキャピタルと資金調達の支援、中小企業の投資の障壁となる情報の整備、コーポレートファイナンスの改革
②資本市場での資金調達の促進
資本市場の強化、エクイティファイナンスの支援
③長期、インフラ、持続可能な投資
インフラ投資の支援、EU 金融サービスルールブックの一貫性、持続可能な投資の支援、機関投資家やファンドマネージャーの投資機会の拡大、長期投資の促進
④リテール投資の促進
個人の金融投資選択の充実と金融商品の競争、個人投資家の環境改善、老後に向けた投資の支援
⑤銀行の貸出能力の向上
地域金融のネットワーク強化、EU 証券化市場の構築、より広い経済主体への銀行貸出の支援、銀行による市場での資金調達、不良債権の流通市場の創設
⑥クロスボーダー投資の活性化
クロスボーダー取引の障壁除去,市場のインフラ整備、破産手続きの収斂、税制障壁の除去、監督に関する収斂の強化と資本市場能力の拡大,金融の安定、投資ファンド、コーポレートガバナンス、金融の安定に関する法整備
⑦ EU資本市場の機能強化
監督、地域の資本市場の発展
出所:European Commission, Action Plan on Building a Capital Markets Union, SWD (2015) 183, 184 final, 2015;European Commission, Mid-Term Review of the Capital Markets Union Action Plan, SWD (2017) 224, 225 final, 2017.
旧行動計画には7分野57項目が含まれている。スタートアップ企業や中小企業の支援では、資金を提供するベンチャーキャピタルが国内だけでなくEUレベルで活動できるように促す(上記①)。また、銀行に融資を申し込んで断られた時に、なぜ融資が断られたのか理由を開示させるようにする。企業の運営に問題ないが売り上げが不十分などの理由が分かれば、銀行は融資できなくても投資ファンドやベンチャーキャピタルが投資できるかもしれない。開示基準は2017年6月に欧州銀行協会などが採択した。
鉄道網の整備や風力発電プラントの建設などのインフラ投資では、資金の拠出、建設、運営を経て資金の回収が可能となり、非常に長い時間がかかる。このような長期投資の資金は銀行が拠出してきたが、保険会社や年金基金などにも投資を促す(③)。また、環境に配慮した投資を行うために、EUは2018年に3 月に持続可能な金融に関する戦略(sustainable finance strategy)を採択し、その後グリーンディールや感染症対策などを盛り込む形で2020年4月に修正した。
個人部門(リテール部門)の対策では、個人が利用する保険や貯蓄などの金融サービスの充実を図る(④)。例えば、自動車保険では無事故期間に応じて等級を付けて保険料を割引するサービスがあるが、加盟国によって基準が異なるため等級が引き継げないことがある。EU内でルールが統一されれば、他の加盟国の保険会社との契約も簡単になる。
銀行が貸出を行うと一定の割合で不良債権が発生する。不良債権は価値がすぐにゼロになるわけではない。例えば、1000万ユーロの貸出に対して200万ユーロの回収が見込めるのであれば、最大で200万ユーロの価値がある。銀行がこの不良債権を150万ユーロで売却できれば、損失を確定して回収業務にあたっている人員を他の業務に回せるようになる。
投資ファンドは150万ユーロで不良債権を購入して200万ユーロの回収に成功すれば利益を得られる。不良債権の回収には法的な問題も含めて特殊なノウハウが必要とされるため、不良債権市場の活性化のためにはアドバイスなどを行うローンサービス会社の位置付けをEUレベルで統一することなども必要となる。また、銀行の早期の不良債権の売却を促すための措置も盛り込まれた(⑤)※。
※ 不良債権が発生すると、銀行は損失をカバーするための引当金の計上を求められる。一部回収の見込みがあっても、担保付債権は8年後、無担保債権は2年後に100%のカバーを求められるため、銀行は早期に不良債権を売却しようとする。
クロスボーダー投資の活性化では、証券の保有や譲渡に関するルールの統一、破綻法の統一、源泉徴収課税手続き、クロスボーダーの議決権に関わる株主権利指令など、クロスボーダー取引を行う上で必要な法律等の整備を行う(⑥)。
旧行動計画では企業や金融機関の資金調達や投資の促進を図っているが、破産手続きや紛争解決など法的な面などで改善すべき点が残されている。
また、高寿命化に伴って個人の老後資金の不足が大きな問題となりつつある。各国は年金受給開始年齢を引き上げてより長く労働市場にとどまることを促しているが、若い時代からの金融投資によって老後資金を形成することも必要とされている。投資で最も重要なのは分散投資であるが、ユーロ地域全体を投資対象とすることで自国内だけに投資するよりも分散化を図ることができるようになる。
新行動計画:「真の単一市場」になるのはまだ先か?
次に、新行動計画を見ていこう。新行動計画は3本の柱、16項目からなる。
【資本市場同盟の新行動計画】
中小企業の資金調達の改善
(1)投資家が企業情報にアクセスできる欧州単一アクセスポイントの創設
(2)株式市場に上場するためのルールの簡素化
(3)賢く・持続可能で・包括的な成長に貢献する長期投資やインフラ投資の促進
(4)保険会社や銀行による長期投資の促進
(5)融資を拒否された企業への他の資金調達方法の紹介
(6)特に中小企業への資金提供のための証券化市場の改善
個人の長期的な貯蓄・投資
(7)個人の金融リテラシーの向上
(8)質が高く適切な量の情報提供
(9)公的年金を補完する適切な年金商品と情報の提供
真のEU レベルでの資本市場の創設
(10)源泉徴収税の手続き簡素化
(11)破産規則の調和
(12)国境を越えた議決権行使
(13)国境を越えた証券決済サービスの提供
(14)EU 内の取引所の取引情報が閲覧できるデータベースの構築
(15)紛争解決メカニズムの調和など投資家の保護
(16)資本市場単一ルールブックの強化、市場監督の収斂
出所:European Commission, A Capital Markets Union for people and businesses-new action plan, COM (2020) 590 final, 2020.
第1の柱は、中小企業の資金調達の改善であるが、よりグリーン・デジタル・包括的・回復力のある経済の実現という文言も付いている。旧行動計画から新行動計画までの間に経済のデジタル化が進み、欧州委員会がグリーンディールを重要政策として掲げており、2020年の感染症による経済の落ち込みも反映している。企業の資金調達というよりは企業への資金援助の側面もあり、金融同盟の趣旨からはやや外れているものもある。
上記の項目(2)は、中小企業の資金調達方法に株式発行を加えるものであり、資本市場同盟の中心的な取り組みでもある。株式を証券取引所に上場することで幅広い投資家に株式を販売して資金を調達できるが、上場の手続きは煩雑で、上場には条件もある。
企業側からすれば上場の条件が緩やかな方がいいが、株式を購入する投資家側からすれば条件を緩和しすぎれば企業の業績悪化や倒産のリスクを負うことになり、条件のバランスが求められる。中小企業の株式を1社だけ購入するのはリスクが高いため、数百社をまとめて証券化することで分散投資を図る。そのための中小企業株式公開ファンド(SME IPO fund)を創設する(6)。
項目(3)の「賢く・持続可能で・包括的な成長」は、EUの2010-2020年までの長期戦略である欧州2020(Europe 2020)の3本柱と同じものである。賢い(smart)は最新技術の活用、持続可能(sustainable)は環境への配慮、包括的(inclusive)は社会的立場や経済的立場の弱い人への支援を指している。
第2の柱は、個人に焦点を当てており、銀行預金だけでなく資本市場での金融投資を促す施策である。金融リテラシー教育の必要性はすでに前節で述べたが、金融知識の習得は簡単ではなく、教育には特別なノウハウが必要となる。
欧州委員会は2021年半ばをめどに、金融知識向上のための枠組みの評価を行う(7)。金融教育はEUや加盟国に加えて欧州銀行連盟(EBF)などでも力を入れている。
金融投資を行う際には投資信託の目論見書や企業の財務諸表などを参考にするが、これらの書類を読み込むのは個人投資家にとってハードルが高い。そこでより簡素で分かりやすい書類の作成を進めるとともに、投資アドバイザーなどのサービスを利用しやすくする(8)。
これらの投資は短期のギャンブルではなく、老後資金などための長期の視点で行う必要がある。汎欧州個人年金商品(pan-European personal pension product:PEPP)と呼ばれる民間の年金保険商品が2022年ごろに発売されるとみられており、個人の投資環境の整備が進むことになる(9)。
第3の柱は、クロスボーダー取引を促す取り組みであり、そのために税制や法制度の調和を進めていく。値上がり益や配当・金利収入には課税されるが、自分で税額を計算して申告するとミスや詐欺が発生しやすいことから、証券会社の口座で自動的に税の計算をして差し引く源泉徴収を普及させる(10)。
株式を購入すると議決権が得られ、企業の経営方針や取締役の選定に対して投票できるようになる。近年は個人でもESG投資を行いたいというニーズがあり、デジタル化を進めることでクロスボーダーの議決権行使を可能にする(12)。
株式は電子化されており、株式を購入すると証券集中保管機関(CSD)の中で所有者情報が入れ替わることで株式の所有権が移転する。CSDをEUレベルで整備する証券集中保管機関規則(CSDR)が2020年10月に修正されている。
新行動計画のいくつかは2021-2022年に二次法の修正などが行われるが、時間がかかる項目もある。法制度が整っても資本市場の利用が進まなければ、個人、企業、金融機関の置かれた状況は変わらない。技術の発展に伴って金融市場へのアクセスが容易になり、手数料が低下して投資対象が拡大してきた。日本の個人も日本の証券会社を通じてアメリカの証券市場でETFを購入することができるようになっている。
しかし、多くの国で自国に集中的に投資するホームバイアスが観察されている。また、2020年の感染症では各国は国境を閉鎖し、人々は国境を強く意識するようになった。EUレベルの資本市場が登場したとしても、EUが真の単一市場になるまでの道のりは遠いといえる。
一方で、ロボアドバイザーなどが普及することで国際分散投資が容易に実行できる環境が整いつつある。EU市民の投資対象がEU域内に限定される必要はなく、EU域外への投資も選択肢にすべきである。
また、企業や金融機関の資金調達もEU域内に限る必然性はなく、EU域外からの投資を受け入れる体制づくりも欠かせない。ただし、EU域内外を越える資金の移動が増えるにつれて、世界経済の動向の影響を強く受けるようになる。EU域外で発生した金融危機にどのように迅速に対応するのか、影響を最小限にするための健全な経営・投資のルールをどうするのか、などの課題も抱えている。
川野祐司
東洋大学 経済学部国際経済学科 教授