EUの経済ガバナンス
EUの単一市場では人・物・資本・サービスが自由に移動できるだけでなく、単一通貨ユーロも導入されている。加盟国には財政赤字の上限が設定されており、加盟国政府による経済政策にも一定の制限がある。このような深化を遂げたEUの経済領域を経済通貨同盟(Economic and Monetary Union:EMU)という。
市民や企業が国境を意識せずに経済活動できることが理想だが、加盟国間の制度や経済構造の差が残っており、加盟国間の意見の調整にも課題を抱えている。EUでは2015年にFive Presidents’ Report※1を公表し、2025年までに経済同盟(Economic Union)、金融同盟(Financial Union)、財政同盟(Fiscal Union)、政治同盟(Political Union)からなる、より完全な経済通貨同盟の実現を目指している※2。
※1 当時の欧州委員会委員長、欧州理事会常任議長、ユーログループ議長、欧州中央銀行総裁、欧州議会議長の5人のプレジデントによって作成されたレポートであることからこのように呼ばれている。
※2 European Commission, On steps towards Completing Economic and Monetary Union, COM(2015) 600 final.
財政同盟はEUが加盟国に課している財政赤字の削減を進めるための取り組みである。金融同盟は大企業だけでなく中小企業も資金調達しやすくするための改革であり、資金を貸す側では国境を越えた資金運用が容易になるようにする。政治同盟は目標にはあるものの達成は困難であることから省略し、ここでは経済同盟と財政同盟に関わる経済ガバナンスを見ていく。
◆経済ガバナンスの必要性
隣接する2国の間で経済パフォーマンスが大きく異なる場合、いくつかの解決方法がある。最も容易に実行できるのが政府債務を増やして企業などに補助金を与える方法であり、政府支出が増えた分だけGDP(国内総生産)も上昇する。しかし、努力しなくても補助金が受け取れるため、企業間の競争が減少し、生産性の向上も見込めなくなる。債務が増えると国際金融市場で警戒感が高まり、金融危機などが発生すると追加の借り入れが困難となる。短期的にはGDPを増やせるものの、長期的な競争力の喪失につながる。
為替レートの調整も比較的容易に実行でき、パフォーマンスが劣る国の為替レートを減価(日本の場合は円安を意味する)させることで輸出を増やして経済活動を活発化させることができる。ただし、これは製品価格の値引きと同じであり、産業の高度化や競争力の向上に直接つながるわけではなく、やはり長期的な競争力喪失につながる。EUでは27カ国中19カ国がユーロに参加しており、為替レートの減価を政策として使うことができない加盟国が多い。
最も困難な対策は経済構造の改善であり、競争力のある産業の育成、新しい産業の創出、教育制度の改革、労働市場の柔軟化、市場での競争の促進など、時間がかかり、政治的なハードルが高い政策を幅広く実施する必要がある。多くの困難があるものの、長期的な競争力が最も高まる方法でもある。
EUは2010年代に経済ガバナンス(economic governance)を強化させた。経済通貨同盟を機能させるためには、市場での競争を促進し、政府が健全な運営をする必要がある。しかし、政府は自国企業を優遇し、競争よりも規制を好む。財政を決めるのは議会、つまり政治家だが、政治家は選挙に当選するために財政赤字を増やすバラマキ政策を好む。改革への姿勢は加盟国によって異なるが、加盟国ごとの差が大きくなれば単一市場のメリットが享受できない。
そこで、EUは加盟国に対して経済の構造改革を促し、財政赤字の抑制を要求する。経済ガバナンスは、欧州セメスター(European semester)というカレンダーを通じて進められる。EUによるモニタリングと勧告を定期的に行い、問題のある加盟国に対して、財政赤字の抑制を要求し、是正措置を発動する。EU加盟国は経済ガバナンスに従うことが求められており、EUから様々な政策の実施が求められる。加盟国政府は人気のない政策であっても「EUの勧告だから」ということで進めることができるが、加盟国政府が市民からの批判の矢面に立つことも多い。
EUの経済ガバナンスは非常に複雑であり、実効性の高くないものもあることから、欧州委員会は2020年に経済ガバナンスの見直しを始めている。
◆経済のモニタリング
毎年秋に、欧州委員会が今後12-18カ月に必要な対策をまとめた年次持続可能成長戦略(Annual Sustainable Growth Strategy:ASGS)と各国の主要な経済指標をモニタリングする経済警戒報告(Alert Mechanism Report:AMR)を作成する。
ASGSは持続可能な環境、生産性、公正、マクロ経済の安定の4つの面から作成される。2020年の感染症で経済が大きく落ち込んだことから、2021年のASGSでは復興基金などを活用した各国経済の回復が重要政策として挙げられている。その上で、持続可能な環境分野ではグリーンディールに沿った環境対策の実施、生産性の分野では5Gの展開や人々のデジタルスキルの向上、AIなどの最新技術の研究開発、公正の分野では女性や若年層も活躍できる社会の構築、マクロ経済の安定では中期的な財政健全化と民間部門の債務急増対策などが挙げられている。
AMRでは、過去3年平均の経常収支※3がGDPの-4%から+6%に収まっていること、民間部門の債務がGDPの133%以下であること、過去3年間の若年層失業率の上昇幅が2%ポイント以下であることなど14項目をモニターしており、数値が逸脱している加盟国にはより詳細な調査(in-depth review)が実施される。
※3 経常収支=貿易サービス収支+第一次所得収支(給与や金利の受払)+第二次所得収支(政府援助や家族送金など)で計算される。詳しくは川野祐司『これさえ読めばすべてわかる国際金融の教科書』文眞堂、第1章。
翌年の2月には、欧州委員会から加盟国別勧告(Country-Specific Recommendations:CSR)が公表され、それぞれの加盟国に必要な政策が勧告されている。CSRで勧告された政策は後に欧州委員会から「完全に実施された」から「全く進展がない」まで5段階で評価される。2011-2019年までのCSRでは、完全に実施された7%、かなりの進展があった16%、ある程度の進展があった46%、進展があまり見られない27%、まったく進展がない5%となっており、構造改革の難しさがうかがえる※4。
※4 European Commission, 2020 European Semester: Country-specific recommendations, COM(2020) 500 final.
2020年のCSRを見てみると、フランスに対しては、医療製品の適切な供給と医療従事者のバランスの取れた配分を行いeHealthに投資することで医療システムを強化すること、求職者に対してスキル向上と積極的な支援をすること、中小企業の資金確保を支援しつつ持続可能な輸送・クリーンで効率的な生産・エネルギーとデジタルインフラの研究開発の促進、規制環境の改善や税制の簡素化の4点が指摘されている。
イタリアに対しては、医療従事者や医療製品・医療インフラの分野で医療システムの回復と強化を目指すこと、非正規労働者に対して十分な賃金と社会保障を保証すること、中小企業・革新的な企業・自営業などの企業に十分な資金を供給すること、司法制度の効率性と行政の実効性を高めることの4点が指摘されている。
加盟国はEUからの勧告を受けて4月に改革プログラムを提出し、5月に欧州委員会が各国から提出された改革プログラムを評価して新しいCSRの作成を行う。
CSRや加盟国の改革プログラムは7月に閣僚理事会で承認され、その後加盟国は改革に着手することになる。
ユーロ参加国は翌年度予算を10月15日までに欧州委員会に提出し、欧州委員会は加盟国の予算を評価する。欧州委員会は11月に意見を公表し、加盟国は意見に従って予算案を修正する。
秋に始まって秋に終わる一連のサイクルが欧州セメスターである。2011年の開始以降、欧州委員会、加盟国政府、閣僚理事会などが参加して欧州セメスターを毎年運営している。
◆安定成長協定
EU加盟国には財政赤字の削減が求められており、これを安定成長協定(Stability and Growth Pact:SGP)という。GDP比率で見て、単年度財政赤字(fiscal deficit)を3%以下、累積政府債務(government debt)を60%以下にする必要があり、累積政府債務が60%超えている加盟国は超過部分を削減して60%以下にすることが求められる。図表1のように、2019年時点で単年度財政赤字を満たしていないのはルーマニアだけであるものの、累積政府債務はイギリスを含めて13カ国が基準を超えている。2020年は感染症の影響で加盟国政府の借り入れ増が見込まれるうえにGDPの減少も見込まれているため、財政赤字比率がさらに上昇し、数年間は高い数値が続くと予想される※1。
※1 2020年11月時点では、ユーロ地域19カ国の単年度財政赤字は2020年で8.6%、2021年で5.9%、累積政府債務は2020年は102%、2021年は86%になると予想されている。European Commission, 2021 Draft Budgetary Plans, COM (2020) 750 final.
安定成長協定は予防措置と是正措置からなる。予防措置として加盟国は財政についての中期目標(Medium-Term Objectives)を作成しなければならず、赤字が多い加盟国は赤字削減計画を作成しなければならない。財政赤字の基準を満たせず違反した加盟国には是正措置が適用される。過剰赤字手続き(Excessive Deficit Procedure:EDP)が適用されると、加盟国は是正のための行動計画を提出しなければならない。ユーロ参加国にはEUへの預け金が科せられることもある。違反が続くと結束基金の支援が凍結されたり、EUへの預け金が没収されたりすることもあり、罰則を伴った仕組みとなっている。図表2のように多くの加盟国がEDPの対象になっている。
制裁措置は最終的には閣僚理事会で決まる。閣僚理事会では特定多数決が用いられるが、制裁への賛成票が人口比で65%、加盟国数で55%必要となり、人口比で35%以上の反対があると制裁措置を否決できる。そこで、過剰赤字手続きに関しては「制裁発動に反対する加盟国が人口比で65%以上、加盟国数で55%以上に達しない場合は自動的に制裁発動となる」という逆特定多数決を導入した。制裁を否決するためのハードルが上がっているものの、実際には制裁措置に踏み切るかどうかの採決をしないという方法を用いて制裁を回避している※2。EUの経済ガバナンスには様々な仕組みがあり、安定成長協定のように罰則付きのものもあるが、罰則の適用は政治的に難しい問題であり、仕組みはあるものの運用はされないというガバナンス(統治)上の問題を抱えている。2020年の感染症による経済の悪化を受けて、安定成長協定は事実上棚上げされており、少なくとも数年間はEUが財政健全化に舵を切ることはない。財政同盟への取り組みは事実上、頓挫しているといっていいだろう。一方で、金融同盟への取り組みは遅れている分野があるものの順調に進んでいる。
※2 2012年にハンガリーに対して結束基金の凍結を決めたが3カ月後に撤回している。2015年のフランス、2016年のスペイン、イタリア、キプロス、ポルトガルは制裁が発動されるべき状況だったが、制裁が回避されている。
川野祐司
東洋大学 経済学部国際経済学科 教授