2019-2024年までの重点政策
フォンデアライエン欧州委員会は、2019-2024年までの重点政策として図表1にあるように、「グリーンディール」「デジタル社会への移行」「市民のための経済」「国際社会での立場強化」「欧州的な生活の推進」「民主主義の新展開」の6つを挙げている。
①グリーンディール
1番目のグリーンディールは、2050年までに実質的にカーボンニュートラル(温室効果ガスの発生をゼロにする)を達成させる政策である。日本では環境問題への対策はコスト増要因として扱われる。工場からの排気ガスを浄化するために煙突に除去装置を付ければコスト増につながる。
しかし、EUのアプローチは日本とは異なり、そもそも有害な排気ガスを出さないようにする新技術を導入すればよい。煙突だけでなく業務全体の見直しを進めることで、事務部門などは効率化がエネルギー使用量の削減につながる。
このような対策を進めることで競争力の強化につながり、新しい産業が雇用を創出するという発想のもとで政策が創られている。詳細は次回記事で紹介する。
②デジタル社会への移行
2番目のデジタル社会への移行は、データ関連のインフラ整備、ネットワーク環境の整備などを通じて市民がデジタル化の恩恵を受けられるようにする政策である。オンラインショッピング、SNS、感染症対策アプリなどすでに様々な技術が生活に浸透しており、市民生活をより便利にする一方で、個人情報の不適切な管理やサイバー攻撃などのリスクも存在する。
デジタル社会を迎えるためには、最新の技術が使える人と使えない人との分断もなくす必要がある。これらの課題に対処するために、労働者のための技術、公正で競争力のある経済、開かれた民主的で持続可能な社会という3つの柱を設定している。
ヨーロッパでは、ドイツのような国でも高速なインターネット接続ができない地域や人々が多く残されており、高速通信網の拡充は喫緊の課題となっている。デジタル化と通信網の整備だけでも必要な投資と実際の投資額の差が6500億ユーロになるとみられている。
デジタル化が進むにつれて、プラットフォーマーなどが絶大な力を持って他の企業を支配する場面がみられるようになってきている。デジタルサービス法はオンラインサービスに関するルールを明確にし、プラットフォーマーの責任を強化させるものであり、EUでは競争法などビジネスルールの整備を進めようとしている。デジタルファイナンスでは、暗号通貨関連の法整備、金融部門のセキュリティ強化、EUレベルでのデジタル決済市場の構築などに取り組む。
人々がデジタルサービスを利用する上で、情報管理の重要性は高い。オンラインとオフラインのルールの統一化やデータ改竄(かいざん)への対策が不可欠となる。今後、個々人の体質や遺伝子などに基づいたオーダーメイド医療が普及する中で、医療情報の共有は研究開発に不可欠だが、個人情報の保護も厳重に行われなければならない。
EUではすでに一般データ保護規則(GDPR)が施行されており、個人データを扱う権利は本人にあるとされている。eIDAS規則(Electronic Identification and Trust Services Regulation:イーアイダス)は、電子署名(eSignature:電子ファイルの作成者を証明する仕組み)、電子タイムスタンプ(eTimestamp:電子ファイルの作成・送信時間を証明する仕組み)、電子ID(eID:オンライン上での本人確認)、ウェブサイト認証(Qualified Web Authentication Certificate:Webページの安全性を証明する仕組み)、電子シール(eSeal:送信内容を読み取られないようにする仕組み)、電子登録配信サービス(Electronic Registered Delivery Service:電子データを第三者に送信するサービス事業者)などのルールを定めるものであり、2014年に採択、2016年に施行されてから時間が経っていることから、見直しの必要性が高まっている。
③市民のための経済
3番目の市民のための経済は、経済の活性化を通じて市民の生活の向上を図る政策である。経済通貨同盟の深化、域内市場、雇用・成長・投資、欧州セメスター、若年層雇用に取り組む。経済通貨同盟と欧州セメスターについては後日の記事で詳述する。
域内市場では、サービス部門のルール統一などに取り組む単一市場戦略、中小企業やクロスボーダーの資金調達を容易にする資本市場同盟、法人税行動計画からなる。法人税は企業が支払う税であるが、税制が加盟国ごとに異なることを利用した租税回避が問題となっている。
EUでは法人税の課税標準の統一(Common Consolidated Corporate Tax Base:CCCTB)の取り組みを2011年から始めており、2016年にはCCCTBの見直しを進めている。しかし、税制は加盟国に主権があるため、統一化は難航している。
記事『【沈むヨーロッパ経済】EU各国の「教育+技術+年金」改革が引き起こした、まさかの〈負のスパイラル〉』でも見たように、2010年代に入って若年層の雇用は悪化している。若年層の失業率は全年齢の約2倍であり※1、パートタイムや見習い職に就いている人も多い。
2013年に創設された若年層保障政策(Youth Guarantee)では15-24歳の若年層を対象に職業訓練、見習い・研修生制度、雇用のマッチングなどを行い、2019年までに2400万人が労働市場にアクセスできた。
2021年以降は対象を29歳まで広げ、さらに障碍者なども対象に含めて社会包摂を実現させる。中小企業やスタートアップ企業への支援、キャリア教育の充実、デジタルラーニングの整備などを通じて若年層支援を強化していく。
※1 若年層の失業率が高いのはヨーロッパだけでなく、広く世界で見られる。
④国際社会での立場強化
4番目の国際社会での立場強化では、自由貿易の進展、バルカン諸国などの近隣諸国やアフリカ諸国との関係強化、世界各地での開発援助などを通じてEUの国際的な立場を強化し、世界からヨーロッパへの投資の増加を促す。対外政策、近隣諸国政策、国際協力・国際開発、人道援助・市民保護、貿易政策、安全保障・防衛、EU拡大、防衛産業の強化に取り組む。
EU拡大では現在5カ国が加盟候補国であり、加盟交渉が開始された国もある。コペンハーゲン基準を満たし、35分野で法改正を行ってEUのアキコミュノテールを国内法として導入する必要がある。
現在のところ、交渉が早期に終了して新規加盟の承認に入りそうな国はない。アイスランドは加盟交渉が3分の1ほど終了していたが、政権交代により加盟交渉を打ち切った。IPAIIIは加盟候補国と潜在的な加盟候補国の支援を行っている。
⑤欧州的な生活の推進
5番目の欧州的な生活の推進は、人々が安心して日々の生活を送れるように制度を整える政策であり、欧州医療同盟(European Health Union)、欧州保障同盟戦略(European Security Union strategy)、移民の統合、司法協力、基本的権利、消費者保護、移民と難民に関する新協定、移民統計の整備、法の支配の分野に取り組む。
EUは人道的な立場から移民や難民の受け入れに寛容だが、市民の中には移民や難民の流入に強く反対する動きもある。EU域内への入国前審査の厳格化、難民手続きの迅速化、国境管理に関わるデータベースの整理などを進めるとともに、市民と移民・難民との交流を促進して相互理解を深める取り組みも行う。
⑥民主主義の新展開
6番目の民主主義の新展開では、EUと市民との距離を縮めるための取り組みを行う。2020-2022年にかけて、欧州の将来会議(Conference on the Future of Europe)を開催し市民が意見表明できる場を作る、EUホームページでEUの施策について自由に意見を書き込めるスペースを作る、EUの政策について戦略的洞察レポート(Strategic Foresight Report)を作成するという取り組みを行う。
欧州委員会のホームページにはHave your say というコーナーがあり、登録するとEUの政策方針や法案に対して記名・匿名で意見を書き込める。例えば、ユーロのラウンディング※2の統一ルールを作るという項目では、2020年9月28日から10月26日の間に1455件の書き込みがあった。最新の3件の書き込みのうち、反対2件、賛成1件と反対意見もきちんと公開されている。欧州委員会はこれらの書き込み受けて必要があれば法案の修正を行うこととなっている。
※2 1セントと2セント硬貨を廃止して、5セント刻みで支払うようにすること。買い物の合計金額が12.33ユーロの場合、現金での支払額は12.35ユーロとなる。合計金額が12.36ユーロの場合も現金での支払額は12.35ユーロになる。ラウンディングは現金払いにのみ適用される。
今回の目標「より現実的なアプローチ」を採択か
フォンデアライエン欧州委員会の取り組みは幅広いものの、2020年は感染症への対策やイギリス脱退後の交渉などの影響もあるのか、スケジュール通りに取り組みが進んでいないケースも見られる。
EUは2000-2010年のリスボン戦略、2010-2020年の欧州2020などの長期戦略で数値目標を掲げていたが、今回の長期戦略は2019-2024年までと期間が短く、数値目標の設定もない。これまでは野心的な目標を掲げても達成できなかったことから、より現実的なアプローチを採用したともいえる。
川野祐司
東洋大学 経済学部国際経済学科 教授