(※写真はイメージです/PIXTA)

個別指導塾を運営する村山和世氏の元へ「勉強ができなくて困っている」と相談に訪れた、私立小に通う男の子とその父母。「自由遊び」と「学習能力」の関係について、村山氏の著書『わが子を不登校・引きこもりにしないための十ヵ条』より一部を抜粋・再編集してみていきます。

自分たちのやった事のどこに問題が?…怒り出した父親

「学業不振の原因は自由遊びが少ないからです」という私の話は、そのお父さんには少しも分からなかった。

 

たしかに、彼は、わが子の育て方の道筋で「間違っているところが在る」とは、簡単には納得しかねたのであろう。“お受験教育センター”に通わせたからといって知能に問題が出るわけはなく、むしろ知能が高まっている筈だと彼が考えるのは、ごく当たり前のことである。

 

「“知能を高めるため”に、“知育センター”に通わせたのだ。しかも、小学校受験は成功したのだ。いったい、自分たちのやった事のどこに問題が?」と、この人は、私の言う事に納得することはなかった。

 

そして、学力不振は学習指導法などの技術と手法によって克服できると考えているのだ。いわば、強固な合理主義者なのである。

 

私の話を理解することも受け容れることもできなかったその父親は、

 

「あなたは私の望む事に、何も応えていない!」

 

と、怒り出して帰ってしまい、その子はお母さんに手を引かれて私の方を時折ふりかえりながら、すごすごと歩いて行ったのである。

 

小・中・高の一貫校でも、中学や高校に入る時に多少のふるい分けはあるだろう。低学力から中学進学や高校進学がはたせず、やがては引きこもりになるのは必至と思われる子だったので残念に思い、その子の将来を思うと心の底で涙せずにはいられなかった。

 

幼児期に自由に遊ばせていないと、なぜ自分という中心が弱くなるかというと、行動するためには、「意志・意欲」が無ければならないからである。

 

自分という中心(一般には自我と呼びならされている)が在って、はじめて、人間は行動するのだが、その自分核(自我)は、生まれた時から「持っている」のではなく育ってゆく道筋の中で、つくられてゆくのだ。

 

幼児期に赤児を“愛すること”“愛を伝えること”で心のつながりを持つことができても、まだ、その子には自分核は形成されていない。時間をかけて……何年もかけて、「自分」と「他者」、「自分」と「外界」を認識するという、日々の行為の中で育まれてゆくのだ。

次ページなぜ遊びが自我を創るのか?

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    本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『わが子を不登校・引きこもりにしないための十ヵ条』(幻冬舎MC)より一部を抜粋・再編集したものです。

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