お父さんと二人の妹さんたちは、特に仲が悪かったわけではないものの、ある時期から互いが避け合うような関係だったそうです。私にも思い当たる節がありますから、どこの父娘にもある話なのではないかと思います。
二人で暮らしていたとき、お父さんはとても寂しがっていたそうです。年頃になった娘とはうまく会話もできず、会話が少ないままに嫁に行ってしまって、話をすることができなくなってしまった、もっとたくさん話がしたかったと……。
「父は妹たちのことをずっと心配していたんですよ。妹たちのことを思い出しては、どうしてるかなって……」
そういった話を賢一さんは妹さんたちに何度も話そうとしてきたそうですが、うまく伝えることができなかったのだそうです。
「ダメ元で、もう一度話してみませんか? 私という第三者が間に入ることで、聞いてくれることもあると思いますし……」
実家に集まった兄妹──
二日後、妹さんたちが実家に集まりました。茶の間で待っていると、賢一さんが飲み物を用意してきて、皆の前に置きました。一口飲んだ妹さんたちが「これって」と、賢一さんを見ます。
「母さんのカリン酒。七年ものだ……」
「最後に漬けたやつだね」
賢一さんたち兄妹は、毎年、秋になると庭のカリンの実をとり、それをお母さんがカリン酒にしていました。喉が痛いときには、市販薬は使わず、カリン酒をお湯で割って飲んだと言います。それは大人になっても変わらなかったのだそうです。
「母さんが死んでからは一度もとってない、いつも熟したカリンが庭に転がってたよ……」
それから賢一さんは亡くなる前のお父さんの話をしました。家族の思い出の詰まった家を離れるのがいやで自宅療養にこだわっていたこと、そのせいで満足な治療が受けられなかったこと、それでも娘たちが心配で、いつもいつも話していたこと……。
「父さんはその柱だって、本当に大事だって言ってたぞ」
妹さんたちは自分たちの後ろにある柱を見ました。それは、三人の兄妹が背比べをした柱でした。この家が新しかった頃から、毎年、刻まれた傷が残っていました。
「そんな大事な家族の思い出があるからこそ、父さんはこの家を残したかったんだよ。カリンの木だって、柱の傷だって、父さんは全部残しておきたかったんだ」
賢一さんが震える声で言い終えると、妹さんたちはしばらく黙っていました。やがて、長女が「よくわかった」と言いました。
「私は、全部お兄ちゃんに任せるよ」
ずっと俯いていた次女も顔を上げました。目には涙を浮かべています。
「私もお兄ちゃんに任せる。お父さんが喜ぶと思う形にしてあげて」
そして、相続はお父さんが望んだ形に落ち着いたのでした。その後、兄妹たちは揃って墓参りに出かけるようになったといいます。この家族は、相続によって修復されたのです。
株式会社サステナブルスタイル
後藤 光