「防衛費GDP1%枠」を放置する日本
■防衛費とGDP1%
いわゆる防衛費のGDP1%枠の話ですが、そもそもどうして1%枠内に抑えないといけないのか、議論をしないのはおかしいと思っています。
かつての三木武夫内閣時に「防衛費はGNP(国民総生産)比1%を超えない――当時はGDPではなくGNP」と閣議決定されています。このときは日本が高度成長していました。
それで一見箍(たが)に思える「防衛費GDP1%枠」なのですが、防衛費に対する枠もわりと順調に広げられたというわけです。
しかし、この連載で延々と述べてきましたが、日本のGDPはどんどん下がっています。ドル建てで換算したら、1995年より小さいのです。先進国でそんな国は、日本だけです。
1995年の日本のGDPはドルベースで5.5兆ドルでした。2020年には5兆ドルくらいまで、減っています。国際比較はドルベースで行われますから、1995年のGDP1%と2020年のそれは、50億ドル、1ドル110円換算で約5500億円の差があります。
ものすごい差額です。これでは誰からもどこの国からも要求されていないのに、自分から勝手に防衛費を減らしているということになります。奇妙なことに与党も全然変えようとしません。憲法改正の前にまずやることがあるのではないでしょうか。
自衛権の行使は問題ありません。安全保障法制も相当整備したわけですから、あとは、自衛のためには必要だということで装備をきちんとやることが必須です。現実に敵基地攻撃能力を備えた装備をするべきだと動きはじめています。当然、射程距離が伸びる、つまり性能が上がるわけですから、お金がかかります。
明確に計画を立てて、敵国の攻撃に対して報復能力のきちんとある装備をする。それが防衛能力になりますから、堂々とやるべきです。GDP1%枠の制約を放置しておくと、先端技術に注ぎ込むお金も非常に限られます。のみならず、日頃の弾薬すら節約しないといけないという話です。
よく言われることですが、尖閣諸島に中国が攻めてきて、交戦状態になったとします。そうしたら自衛隊が出動しないといけません。そのときの弾薬は三日で底を突くらしい。そんな肝要なことを放置しておいて、「中国の脅威だ、大変だ」とばかり言って、あとはアメリカ軍が対処してくれるから……みたいな話。これはいくらなんでもひどい、そう思えてなりません。
実際「アメリカ軍のお世話になります。尖閣諸島が有事の際には日米安全保障条約第五条の対象にしていただきまして」と、「第五条の対象にする」というお言葉だけでもいただきたいという体たらくです。
アメリカが「第五条の対象にする」と言っても、実際に尖閣諸島でドンパチが始まったときに、アメリカが支援してくれるかどうかは何の保証もないわけです。日米安全保障条約第五条は〈日本国の施政の下にある領域における……〉と謳っていて、あくまでも日本の施政権下にあることが前提になっています。
いまのところ一応尖閣諸島は日本の施政権下にあるとアメリカは認めています。けれども、もし中国人が上陸して居ついてしまったらどうなるでしょう。中国に施政権が移ったと見なされる可能性があります。
だから施政権下にあることをアメリカにきちんと示すには、まず自衛隊が出ていって上陸する中国を撃退しなければなりません。それで自衛隊が常駐するくらいのことをやったうえで初めて証明ができるのだと思います。
加えて、アメリカ軍に対する思いやり予算はGDP1%枠内の、限りある防衛費から出しているのです。
ただし、思いやり予算は結局、駐留アメリカ軍の経費で、その大半が日本国内に落ちています。横須賀や沖縄に。そういう意味で国内の経済に寄与することにはなります。
アメリカ軍が出ていってしまうと、基地経済が成り立たないというのは現実的な話です。そんな基地経済を支える原資は、アメリカ国民の血税ではなく、日本国民の血税で賄いましょうと考えれば、思いやり予算については合理性が出てくると思います。
そういう話に触れることなく、思いやり予算でアメリカ兵の給料も払って、装備費用も負担しているということが強調されています。それで納得していない有権者が多いのでしょう。「なんでアメリカに払わなきゃいかんのだ。その払った分を自衛隊に回せば、もう少し装備の充実ができるんじゃないか」と。
憲法を改正して自己防衛力を整備したうえでアメリカ軍が重要拠点に駐留して、思いやり予算を継続しながらアメリカの核の傘のなかにいるようにするというなら理解できますが、政治家はそういう“整理”はしようとしません。恐らく国論の収拾がつかなくなるからでしょう。でも、どこかで1回やらないといけないと思います。
田村 秀男
産経新聞特別記者、編集委員兼論説委員