4―日本でも法制化に向けた動きが前進
国際的には欧米が先行した状況にあるが、欧米と同じ価値観を共有する日本も、取組みを強化している。日本がNAPを策定したのは2020年10月。欧米に比べれば遅い導入となったものの、アジアの中では、2019年10月に策定したタイに続く。
これを受けて、各機関も取組みを本格化している。例えば、東京証券取引所が、2021年6月に公表した「改定コーポレートガバナンス・コード」では、人権の尊重がサステナビリティを巡る課題の1つに挙げられたほか、経団連が2021年12月に公表した「改定企業行動憲章 実行の手引」では、第4章に人権を尊重する企業の責任が記されている。
さらに政府は、今年2022年9月、企業が人権対応を進めるための指針「責任あるサプライチェーンにおける人権尊重のためのガイドライン」を策定し、企業における人権DDの実施を後押しする姿勢を示している。これは、NAPでは踏み込めなかった企業対応を強化するものであり、より具体的で実効的な対策が取られるよう、企業事例を多く盛り込んでいるのが特徴だ。日本で事業活動を行う企業は、企業規模や業種等に関わらず、すべて人権に配慮していくことが求められる。
ただ、同指針は、すべてのリスクに対して、企業が同時に対処していくことを求めてはいない。企業の規模や事業の性質を考慮したうえで、優先順位の高い課題から順次対応していくことが重要だとしている。企業の取組みとしては、まず経営陣のコミットメントを得たうえで、ステークホルダーとの対話を重ね、取引先との関係を維持しながら問題の防止・軽減に努めることが重要だとされる。そのうえで、取引停止を「最後の手段」と位置づけ検討することを求めている。
現時点では、NAPも今般策定されたガイドラインも法的拘束力を持たないものの、海外での義務化の動きを受けて、今後日本でも法制化に向けた検討が進んで行くとみられる。
5―企業価値向上につなげる仕掛け → 「先進的取組み」「情報発信」
世界的に人権擁護に対する企業の責任が増す中、日本企業にも近年、厳しい目が向けられている。
例えば、ミャンマーで軍事クーデターが起きた際には、市民を弾圧する国軍関連企業と取引関係を持つ企業に批判が集まったほか、中国新疆ウイグル自治区における強制労働に関する問題では、現地に進出している日系企業に実態調査や透明性の確保が求められた。さらに、今年勃発したロシアによるウクライナ侵略でも、人権侵害を行う国で活動を継続する企業には、厳しい視線が注がれている。
これらの事案は、企業の人権問題に対する意識や関与の欠如が、大きな経営リスクにつながり得ることを示唆している。企業は、国際的に認められる水準まで人権擁護の取組みを強化し、企業価値に影響を与えるリスクを軽減していくことが重要だと言える。
ただ、企業活動における人権擁護の取組みは、法令遵守やガバナンス体制の構築に、追加のコスト負担を生じさせることから、二の足を踏んでしまう企業も少なからず存在する。とりわけ、欧米対比で取組みが遅れてきた日本企業は、国際水準へのキャッチアップもこれからだ。
しかし、人権に関する取組みは、企業活動に大きな影響を及ぼすようになったいま、対応を先延ばしにしても良いことは何もない。人権軽視は売上減少やコスト増、企業価値の毀損につながる経営上のリスクであり、人権擁護の取組みはそのリスクを回避し、事業にポジティブな影響をもたらす “投資”だという認識を持つべきだろう(図表4)。
企業は本来的には、人権に関する負の影響を回避するとの観点から、人権擁護に積極的に取り組むべきであるが、投資と言う別の側面からみた場合には、如何に企業価値に結び付けていけるかを考えていくことも大切である。すなわち、何に取組み、如何に伝えていくかと言う視点だ。
企業の取組みとしては、横並びを意識するよりも、むしろ先進的な人権尊重の試みを、積極的に展開していく方が、チャンスは大きいのではないだろうか。企業の人権取組みは、いまや国や国際機関、市民団体だけでなく、投資家や個人も注目している領域であり、他者に先駆けて積極的な取組みがアピールできれば、企業のブランド価値や魅力の向上につながる。
特に今後、デジタル化が進み、消費者主導型の経済構造に変わっていく中で、消費を決定づける要素として、消費者の価値観は重要性を増していくと思われる。そのような世界で、人権尊重という企業イメージは、消費者のロイヤリティを高め、確保していくのに強力な武器となろう。人権取組みにおいても、先進的な取組みを始める“ファーストペンギン”になることは、将来のリターンを高めることにつながる可能性がある。
また、企業は人権課題への取組みを積極的に行うだけでなく、その成果を社会にアピールすることも、全力で取り組む必要がある。企業が行う素晴らしい試みも、社会に認知されなければ、新たな価値を創出することにつながりにくい。人権擁護の実践を担当する部署は、広報や顧客との接点を多く持つ部署とも連携して行くことが重要になる。
人権尊重に関する日本企業の取組みは、まだ十分洗練された状態にあるとは言えないものの、それは他社に先行できる余地が、国内に残されていると言うことでもある。すなわち、企業には人権擁護の経営により国際的な責任を果たしつつ、自社にポジティブな影響をもたらす機会があるということだ。そして、個々の企業が人権擁護で切磋琢磨することは、社会全体の人権意識を高めることにもつながって行く。今後、企業の人権取組みが加速し、日本全体で好循環が生まれて行くことに、大きく期待していきたい。
【参考文献】・一般社団法人日本経済団体連合会「人権を尊重する経営のためのハンドブック」,2021年12月14日
・外務省「ビジネスと人権とは?」,2020年3月
・ビジネスと人権に関する行動計画に係る関係府省庁連絡会議「「ビジネスと人権」に 関する行動計画」,2020年10月
・国際連合広報センター「ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために」2011年3月21日