(※写真はイメージです/PIXTA)

昭和に入社した上司世代ほど、「最近の社会人は打たれ弱い」と感じることはないでしょうか。人工知能研究者の黒川伊保子氏は、その原因は「今の社会人教育」にあると言います。黒川伊保子氏の著書『職場のトリセツ』(時事通信社)より、「『理想の自分』を目標にしてはいけない」を見ていきましょう。若者が打たれ弱くなっている理由がわかれば、職場の人間関係やストレスの捉え方も変わってくるのではないでしょうか。

 

「理想の自分」を目標にしてはいけない

私たちの世代(昭和入社組)は、タフだった。

 

それには理由がある。脳が、「自分」ではなく「組織」を目標にしていたからだ。時代がそれを要請してくれたから、「自分」にこだわらなくて済んだのである。「自分」を見なくていいのは、本当に楽な職業人生だった。

 

だから、それを、若い人たちにも知らせておきたい。

 

今の社会人教育は、「なりたい自分」を想定したキャリアデザインを推奨している。

 

入社5年目までの、まだ脳の個性も決まっていない若い人たちに「なりたい自分」「素敵な私」を描かせる人事教育も流行(はや)った。

 

私は、脳の観点から、これは危ないと警告し続けている。

 

「理想の自分」を脳の目標にしてしまうと、脳の世界観が「自分」でいっぱいになってしまう。

 

このため、自分が叱られたり挫折したりするたびに、脳の座標軸が揺らぎ、目標を見失って、脳のストレスが甚大になるのだ。「組織の成果」が脳の目標ならば、自分の挫折なんて、脳にとってちっぽけなことなのに。

 

若い人に、「理想の自分」を目標にさせるのは、あまりにも残酷なのである。

「自分の失敗」を3分以上も引きずる必要はない

その昔、企業人は歯車の一つだった。成果を生み出す働きアリだったのだ。そのことには、さまざまな弊害もあって、当時にまるまる戻ってほしいとは思わない。けれど、「自分」を見つめすぎる今の時代に、この「いいところ」だけは伝えておきたい。

 

私がタフだったのは、「お前がどうかなんて関係ない。人工知能の夜明けを見るためには、歩みを止められない。とにかく歯車を回せ」という社会の風潮のおかげだった。私の日々の挫折なんてちっぽけなことだったし、落ち込んでいる暇もなかった。同僚は戦友で、互いに必要なことを、必要なタイミングで率直に言い合えた。

 

「大きな目標のために、小さな歯車になる」ことの個人の脳への利点は、たしかにあるのである。脳の世界観が大きいので、日々の小さなことが気にならない、という。

 

SNS全盛期の今、「日々の小さなこと」をクローズアップするのが、世界の流行りでもあり、人々の脳の癖にもなっている。その脳の感覚が、職場の「小さな失敗」にも適用されて、個々人の脳の中で大きくなりすぎているのではないだろうか。

 

経営者になってみてわかったが、命にかかわらない失敗は、実のところ、会社にとっては想定内だ。会社も上司も、「想定内の失敗」を繰り返して成長してもらうつもりなのである。社会人生活が長いと、失敗が次の新発想を生むのも、よくわかっているし。

 

失敗は、その瞬間、胸を痛める必要はあるが、3分以上もくよくよしたりグズグズしたりする必要はない。

「夢見る力」を眠らせてはいけない

社会が「大目標」を掲げてくれず、会社に「駆け上がる目標」もない今、会社は個人に期待するしかない。このため、企業の主人公が「組織の成果」ではなく、「社員一人一人」になっている。

 

「一人一人を大切にする」ということばは美しいが、責任を押し付けられて「素敵な自分」を目指させられる若い人も難儀だなぁと思う。

 

どうか、そんな罠(わな)にはまらないで。「組織の成果」に目を向けて、「自分の日々の挫折」が小さく見える視点を、自分で持っていてほしいと思う。

 

もちろん、政府には企業が目指せる「大目標」を掲げてほしいし、各企業には「駆け上がる目標」をぜひ、とも思うけど、ここまで成熟した社会ではなかなか難しいと思う。人類の平均的な想像力をはるかに超えた“未来社会”を私たちは生きているのだもの。昭和の時代のように、そう簡単に「未来はこうしよう」が出てくるはずがない。

 

それでも、リーダーたちは、夢見る力を眠らせてはいけない。

「大切な人たちにどうしてあげたいか」だけを考える

そうそう、いつだったか、ある政治家が、政府の科学技術開発予算を圧縮しようとして、「世界一になる理由は何があるんでしょうか。2位じゃダメなんでしょうか」と発言したことが話題になった。世界一を目指さなければ、もっと研究費を圧縮できるでしょうに、と。

 

あの時、公には誰も反論しなかったけれど、私は、その発言の政治的センスを疑った。国にはプライドをかけた大目標が要るのである。上を見ておかないと、若い人たちの脳の中で自我が肥大して、疲弊してしまう。

 

夢見る力。それは、コロナ禍によって引き起こされたパラダイムシフトの時代に、あらためて政治家や事業家に不可欠のセンスである。国や会社を評価するとき、トップリーダーたちのそれを見ればいい。自分の会社のトップリーダーにそれがなかったら、あなた自身がそれを養っておこう。

 

そのためには、「自分がどう見られるか」ではなく、「大切な人たちにどうしてあげたいか」だけを考えるのである。顧客に理不尽なクレームをつけられたときも、「ひどい」と落ち込むのではなく、「どうしたら、満足させてあげられたのか」「今後はこうしてみよう」と好奇心に変えていく。

 

手ごわい顧客ほど、面白いゲームになる。「おお、ボスキャラ登場」と楽しめばいい。それを積み重ねていくと、やがて、会社や社会をけん引していく「夢見る力」になっているはず。

 

「世間に照らして自分を見る」のではなく、「自分の好奇心に照らして世間を見る」のである。世界は、自分のためにある。誰の脳にとっても、本来はそうなのだから。

 

 

黒川 伊保子

株式会社感性リサーチ 代表取締役社長

人工知能研究者

 

1959年、長野県生まれ。奈良女子大学理学部物理学科卒業。富士通ソーシアルサイエンスラボラトリ(現富士通)で14年間にわたり人工知能(AI)開発に従事。その後、コンサルタント会社などを経て、株式会社感性リサーチを創業。独自の語感分析法を開発し、これを応用したネーミングで新境地を開いた。

AIと人間との対話を研究する過程で、男女の脳では「とっさに使う神経回路」の初期設定が異なることを究明。これらの知見を活かした著作も多く、ベストセラー『妻のトリセツ』(講談社)をはじめとするトリセツシリーズが人気を博している。ほかに『成熟脳』『共感障害』(いずれも新潮社)、『ヒトは7年で脱皮する』(朝日新聞出版)など。

 

※本連載は、黒川伊保子氏の著書『職場のトリセツ』(時事通信社)より一部を抜粋・再編集したものです。

職場のトリセツ

職場のトリセツ

黒川 伊保子

時事通信社

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