「感情と数字」は惑わされる大きな要因
内的批判とは、情報源に関係なく、情報の内容いかんで「その情報に価値があるか否か」を判断することである。情報源が記載されていない情報は疑ってかかるのが原則とは言え、有用なオフレコ記事が「匿名」で流布されることは多々あるので、情報が重要な内容を含んでいれば他の情報との照合を行なっておいて損はない。
情報そのものが「本物か偽物か」の内的批判は、外的批判を駆使するより難しいが、そのため価値が高い。原則は、一般的知識および経験的見地からの「妥当性」、「一貫性」および「具体性(詳細度)」、ならびに関係あるほかの情報、または知識との「関連性」によって、情報の真偽を判断する。
要するに「なんとなく変だ」「そんなことが本当にあるのか」「言っていることが矛盾している」「よくそんなことまで知り得たな」などの気づきがあれば、関連する情報や知識とつき合わせて矛盾点を探ったり、その道の専門家の意見を聞くなどの措置が必要ということである。私は、情報の内的批判では次のようなことに留意している。
- 感情がゆさぶられる情報には注意する
おもしろい、得する、損する、緊急、恐怖、危険、悲しいなどの感情が起これば、今一度、情報源や伝達者の意図や思想の介在を考える。
つまり、「情報源はこの情報にどのような利益を見いだしているか。それは金銭、名誉、注目のいずれか?」「私にこの情報を信じさせることで情報源が得られる利益は何か?」という視点で情報の内容をチェックする。
- 数字は疑ってかかる
統計と数値化は全体状況を把握する、他との比較を行なうなど、その重要性には異論はない。しかし、統計はいかようにも操作可能であることを認識しよう。特に100%に近い数字は要注意である。要するに、情報をつくる側(情報源)の立場に立って、情報を批判的に見るということである。
上田 篤盛
株式会社ラック「ナショナルセキュリティ研究所」
シニアコンサルタント