総需要曲線と総供給曲線のシフトが同時発生
■コストプッシュ・インフレ
これとは反対に、供給側の変化で価格が上昇することもあります。
何らかの理由で企業の生産量が低下した場合、経済全体の供給量が減少することになります。その結果、総供給曲線は左側にシフトし、総需要曲線との交点も左に移動することで、全体の物価が上昇します(図2内の右側)。
供給量の低下は、戦争や自然災害で生産量が低下するような時に発生します。現在、ロシアとウクライナで起こっているのは、まさにこのケースです。
ロシアは世界でも有数の産油国であり、小麦の主要輸出国でもあります。ウクライナもロシアと同様、大量の小麦を輸出しています。2022年2月、ロシアによる一方的な侵攻によって両国は戦争状態となり、ロシアに対しては経済制裁が科され、いっぽうのウクライナは国土が荒廃してしまいました。原油や小麦の輸出が著しく減っているわけですから、全世界的に供給制限がかかった状態と考えてよいでしょう。
戦争や災害が発生すると、実際に供給が滞る前から、一部製品の生産が減少するケースも珍しくありません。その理由は、戦争や災害に関する情報が流れると、特定産品の価格が急上昇し、それが全体の価格上昇を促すからです。
今回のケースにあてはめれば、ロシアやウクライナからの輸出が実際に停止していなくても、その恐れが高まっただけで、多くの企業は前倒しで商品を確保しようと試みます。その結果、多くの商品で品不足が発生し、価格が上がってしまうのです。企業にすれば原材料価格の高騰という問題に直面することになります。
コストが上がっても、商品の種類によってはコストを吸収することができますが、そうでない商品の場合、コスト上昇によって採算が合わなくなり、生産量を減らさざるを得ないケースも出てきます。そうなると、企業の販売数量が減少しますから、供給曲線が左側にシフトし、経済圏全体の価格が上昇する結果となります。
コストの上昇が経済全体の供給を抑制し、これがインフレを引き起こしていますから、こうしたインフレのことを「コストプッシュ・インフレ」と呼びます。
もし需要の増大とコストの上昇が同時に発生した場合は、総需要曲線は右側にシフトし、総供給曲線は左側にシフトしますから、全体の価格上昇はより激しくなります。実は、今回発生しているインフレは、ディマンドプル・インフレとコストプッシュ・インフレの両方の要因が絡んでいます。
近年、各国の経済成長や人口増加が顕著となっており、世界全体の需要は大幅に増大しています。しかし、工業製品とは異なり、原油や食糧といった1次産品は簡単に生産量を増やすことができません。これは需要曲線が右にシフトするという作用をもたらしますから、物価に上昇圧力が加わります。
実は、このリスクは数年前から何度も指摘されていたのですが、コロナ危機が発生して景気が低迷したことから、一時的に問題が見えにくくなっていました。ところが、ワクチン接種が進み、コロナ危機後の景気回復期待が明確になるにつれて、あらゆる業界で注文が増え、明確にインフレが意識されるようになってきたというのが実状です。
そして、この動きに拍車をかけているのが、先ほどから説明しているロシアによるウクライナ侵攻です。ウクライナ侵攻によって、原油価格の高騰や食糧不足が決定的な状況となり、世界経済には大きな供給制限がかかっています。全世界的な需要増大が進んでいたところに、供給制限が加わり、総需要曲線と総供給曲線のシフトが同時に発生していますから、価格上昇は単独のケースとは比較になりません。
今回のインフレに関して、原油価格の上昇によるコストプッシュ・インフレであって、ディマンドプル・インフレではないとの主張がありますが、それは経済の現状を片方からしか見ていない議論です。そもそも、1次産品の価格が上昇しただけで、経済全体の物価が大幅に上昇することは通常、考えにくく、たいていの場合、コスト要因と需要要因の両方が関係することで激しいインフレが発生するのです。
加谷 珪一
経済評論家