芸能界デビュー!実家は「物置き代わり」に…
兄が実家に暮らしたのはわずか3年弱でした。借家から移ったとき高校1年で、卒業と同時に大学進学で上京したからです。私は中学を卒業するまで10年暮らしました。
上京して高校に入学、芸能界デビューしたあとは、申し訳ないけれど、実家を物置代わりに利用させてもらいました。
6畳1間のアパート暮らしだったので、増え続ける舞台衣裳とか、ものまね王座決定戦でもらった大きいトロフィーとか、とてもじゃないけど狭くて置いておけない。かといって捨てるわけにもいかず。それで荷物が増えると流れ作業のように実家へ送っていました。知っている芸能人の方はみんなそうしていましたね。
ところが、あんまり私が送るものだから、そのうち実家も置き場所がなくなってしまい、とうとう庭の一角にプレハブの2階建ての離れを作ることに(苦笑)。
両親は私の出た番組をビデオに録画したり、雑誌を切り抜いてファイルにしたり、番組ポスターなども大事にとっていました。それらも一緒に保管するための離れで、費用は私が出しました。
そこそこ広い離れだったので、空いたスペースは父が書斎にしました。作家になると言って小説を書いていました。案外文学少年だったのかもしれません。有名作家の作品が収録された文学全集などを買いあさり、書斎はたちまち本だらけになりました。
私の中の父は、陽気に飲み歩くお酒好きのオヤジで、文学の香りはまるでなし。もともと公務員でしたが、1960年代の高度成長期に好景気の建設会社に転職して、私が子どもの頃は給料もそこそこよかったのでしょう。
だから夜な夜なバーやスナックに繰り出すわけです。それも1人じゃない。たいてい母と私も連れていくのです。それで親子3人、家族でハシゴです(兄は受験勉強があるので留守番でした)。
父は、それがもう大好きで、お店に行くと、「明子、歌え、歌え」と言って私に歌わせる。すると、ママさんやホステスさんが、「すごいね」「うまいね」と言って10円、20円くれる(笑)。それがまた嬉しくて、よく当時のヒット曲などを歌っていました。
いまから思えば、あれが芸能界に入る原点みたいなものでしたね。
松本明子
タレント/女優
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