高松の実家は、父のこだわりが詰まった「木組みの家」
会社勤めをしていた父が高松市の郊外に家を建てたのは、私が幼稚園の年長さんの6歳のときでした。1972年のことで、それまでは市内の借家住まいでした。
新しい家は、敷地約90坪、総檜造りの平屋建て5DKで約3000万円(上物約2000万円、土地約1000万円)。大金ですから、もちろんローンでの購入です。
念願のマイホームということで、父のこだわりは、それはもう大変なものでした。普通の大工さんではなくて、わざわざ神社やお寺などを手がける宮大工さんに頼んで「木組みの家」を建てたのです。
マイホームを建てるなら木組みの家と前から決めていたようです。「この家は釘1本使っていないんだぞ」というのが父の自慢でした。
凝った欄間や床の間があり、庭には自分で運んできた庭木を植え、大きな庭石や石灯籠を置いていました。家の周囲にはトラックで大量の石を運び、石垣も造りました。
昭和1桁世代はマイホーム=小さなお城の意識が強いとよく言いますが、父もまさにそうでした。宮大工さんの建てた小さなお城。それも石垣に囲まれた山城です。建てた場所が、市の中心部から8キロ以上離れた小高い山の上だったのです。
山の上ですから景観は抜群です。高松市内は一望できるし、目の前には源平合戦で有名な屋島という山があって、その先には瀬戸内海も見えました。父は縁側に座ってその景色を眺めるのが大好きでした。
ただし、市の中心部まで出るのは一苦労。山を下りるのに歩いて30分、電車に乗って30分。幼稚園を転園しなかったので通うのに小一時間かかりました。これが1年続きました。借家のときは歩いて15分でしたから、最初のうちは1人で山を下りながら、なんでこんな目にあわなきゃいけないんだろう、と泣きましたね(笑)。