バブル崩壊から30年、日本人の給料はほとんど伸びておらず、また、現状においては伸びる見通しも立っていません。なぜこのような状況になってしまったのか。そこには「タテ社会」という社会構造的な問題点がありました。本記事では、日本における労働分配率の低下と賃金の低下について、各方面の研究を取り上げながら、その原因を読み解いていきます。

【3】 労働者の賃金交渉力

第三に、わが国の労働者の賃金交渉力については、東京都立大学教授の宮本弘曉氏によると、経済モデルで推定した結果、労働者の賃金交渉力は非常に低く、利潤の大部分は企業側に回り、労働者側の取り分が低いという結果となりました。そのため、企業収益の拡大を賃金上昇に結びつける仕組みを構築することが重要であり、労働者の賃金交渉力を高めることが不可欠です。また、構造改革により労働市場の柔軟性を高め、労働者に多様な選択肢を用意することが、労働者の賃金交渉力を高めるためにも必要です※6。つまり、正社員の転職の選択肢があれば賃金交渉力は増加すると考えられます。

 

※6 宮本弘曉「量的緩和政策と労働市場」日本銀行ワーキングペーパーシリーズ No.16-J-3、2016年
https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2016/data/wp16j03.pdf (2021年9月13日入手)

 

わが国の労働者が賃金交渉において「賃金か雇用か」と言われて雇用を選択する点については、日本銀行調査統計局の尾崎達哉氏と東京大学社会科学研究所長の玄田有史氏は、日本の長期雇用を前提とした労働市場では企業特殊的熟練に対する支払いや早期離職防止のインセンティブメカニズムとして、中高年以降になってからボーナスを含む後払い型の雇用報酬システムに基づく雇用慣行が依然機能していることがうかがわれるとしています。

 

こうした慣行のもとでは、年齢を重ねることによって得られる企業特殊的熟練は離職によってその収益性が低下するほか、他企業へ転職すると後払い型の雇用報酬が得られなくなるため、中高年は将来的に約束された報酬が予想外の外的ショックによって抑制されたとしても企業への定着を選択することが予想されます※7

 

※7 尾崎達哉・玄田有史「賃金上昇が抑制されるメカニズム」日本銀行ワーキングペーパーシリーズ No.19-J-6、2019年
https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2019/data/wp19j06.pdf (2021年9月18日入手)

 

【4】 外国人投資家と労働分配率

第四に、外国人投資家と労働分配率については、内閣府によれば、2000年から2009年のデータでは外国人持ち株比率は1人当たり人件費の上昇に寄与するものの、労働分配率の押し下げに働くとされています※8。労働分配率が低下しても1人当たりの人件費が上昇したということは、人員削減が行われたと推察できます。

 

※8 内閣府「グローバル化の国内経済への影響」内閣府ホームページ、2021年
https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je11/pdf/p02021_1.pdf (2021年9月25日入手)

 

また、三菱UFJ信託銀行受託運用部の太田頼男氏は、労働分配率低下は企業のコスト抑制もある一方、物言う株主である海外投資家の増加が資本分配上昇、すなわち労働分配率の低下圧力として働いている側面もあるとしています※9

 

※9 太田頼男「ストラテジストの眼」三菱UFJ信託銀行調査情報 2008年3月号https://www.tr.mufg.jp/houjin/jutaku/pdf/c200803_1.pdf (2021年9月14日入手)

 

そして、金沢星稜大学経済学部准教授の壺内慎二氏は、2期連続赤字という危機にある企業の配当と雇用の変化が外国人株主の増大に影響を受けているかどうかを見ると、外国人株主の比率が高い企業ほど配当の削減率は小さく、従業員数の削減率が大きいとしています※10

 

※10 壷内慎二「外国人株主の増大が雇用と配当に及ぼす影響」『証券経済学会年報』第50号別冊 2015年 1-5-1-1-5-7頁。

 

つまり、先述の内閣府の一人当たり人件費の上昇は人員削減と表裏の関係にあると言えそうです。

 

わが国の労働分配率が大きく低下した点について、独立行政法人労働政策研究・研修機構理事長の樋口美雄氏と拓殖大学政経学部准教授の佐藤一磨氏は、国際比較の点からしても長期的にみてイギリスを除く先進国では労働分配率は低下していますが、「だがその中でも、わが国における労働分配率の低下は顕著である」※11と指摘しました。

 

※11 樋口美雄・佐藤一磨「雇用・賃金統計にみる先進各国に共通な流れと日本の特異性」『商学三田研究』Vol.50 No.1、2015年、15-32頁。

 

政府の見解は、いわゆる「伊藤レポート」によれば、ROA等を見ると日本企業と欧米企業ではほぼ倍の格差があり、この傾向が20年にわたり続いてきました。持続的な低収益性という問題に取り組まなければ持続的成長に向けた方策を見出すことはできず、日本企業への中長期投資が低リターンしか生まなければ、合理的な投資はより短期の変動からの収益機会を求めるものにならざるを得ません※12

 

※12 持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会、2016年。

 

つまり、外国人株主の短期的志向はわが国の企業の低い収益性に耐え切れず、従業員への報酬を圧迫してでも利益の追求を経営陣に要求する傾向があることは必然性があるとしています。

 

この企業のROE改善と労働分配率については、東洋経済記者の藤井宏成の記事によると、企業が配当やROEを向上させる姿勢を強めているのも労働分配率下落の要因であるとしています。そして、日本企業のROEは確かに海外と比較して低水準にあり、今後も引き上げることが求められるものの、労働分配率、賃上げといった政策とは矛盾する部分もあり、企業は難しい状況に立たされていると述べています※13。つまり、労働分配率とROEの双方を考える経営が求められているといえます。

 

※13 藤井宏成「2018年春闘始動!3%の賃上げが難しい理由」東洋経済ONLINE
https://toyokeizai.net/articles/-/203224(2021年9月18日入手)

 

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※本記事は日本産業経済学会に発表された論文「タテ社会と賃金(Japanese society and Wages)」を再編集したものです。

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