日本は「経済政策」では復活しない
日本経済は30年の長きにわたって低迷を続けており、多くの論者がその理由について分析を行ってきました。
ある論者は小泉改革で非正規労働者が増えたことが原因だと指摘し、ある論者は消費増税が原因だと述べています。別の論者は財政出動が足りないと主張していますし、さらに別の論者はデフレマインドに原因があるとの立場です。このほかにも、最低賃金が低すぎる、規制緩和が不十分、少子高齢化の進展など多くの要因が列挙されています。
これらの項目は、日本経済が低迷していることの原因の一部ではありますが、どれも決定的なものとは言えません。
30年にわたって議論を重ねても、いまだに根本原因が分からず、有益な処方箋を提示することができていないのです。
では、なぜ日本経済低迷の原因について腑に落ちる分析ができないのでしょうか。
その理由は、私たち日本人の中に「経済成長は政府の経済政策によって決定される」という無意識的な前提条件が存在しているからだと筆者は考えています。政府が経済の行く末を決定するという無意識的な感覚が、客観的な分析を邪魔しているのです。
政府の経済政策は、経済に対して側面支援する効果はありますが、社会主義国でもない限り、ある国の経済水準が政府の経済政策によって決定されるということは、通常あり得ません。
そもそも経済学というのは、政府の存在を無視した形で発展してきました。経済水準を決めるのは、政府ではなく民間の経済活動であるというのは、自由主義経済の中では自明の理なのです。
マクロ経済学において政府支出は、GDPを構成する主要項目のひとつとなっています。これは戦後、正式にGDP統計を策定するにあたり、政府の存在が無視できなくなったことから、事後的に追加したものです。GDP算定や分析作業の容易さを優先するため、政府支出については、投資と消費の区分を行わないケースも多いですし、需要を二重計上するリスクも承知した上での措置です。
政府の支出は相対的に規模が大きく、政府は国家権力を使って市場に介入できる立場ですから、それなりの影響力があるのは事実です。
しかし、政府支出に関する一連の導入経緯からも分かるように、あくまで民間の活動が主体であり、政府はそれを補う存在であるというのは、経済におけるオーソドックスな価値観といってよいでしょう。
ところが、国内の議論において日本が成長できない原因として列挙されるのは政府の経済政策に関するものばかりですし、ネットの論調などを見ていても「〇×政権が日本経済をダメにした」といった意見を数多く見かけます。政治家もこうした声を無視できませんから、新しい政権が誕生するたびに、「これで日本経済を力強く回復させます」という主張が行われ、国民はそれに過度に期待し、そして裏切られるというサイクルを繰り返しています。
諸外国にもこうした風潮は散見されますが、日本ほど顕著ではなく、昭和の時代までは、日本においても政府が経済を決めるといった主張はあまり見かけませんでした。
現代の日本において、経済成長を決定付けるのは政府であるとの認識が過度に高まったのは、日本経済の長期低迷と無関係ではないでしょう。不景気が長く続くと、人はそれが当たり前の感覚になってしまいます。必然的に政府の政策に過度に期待するようになり、いつしか経済成長できないのは政府が原因という流れが確立してしまったのです。