東京でつかめなかったチャンスがある
■本当の幸せを求めてUターン 富山にも女性が活躍できる仕事はある
以前は東京で企業広報やマーケティング担当として活躍していたEさんは、40歳を越え、これからの人生を考えたとき、胸にふつふつと強い思いが湧き上がってきたといいます。「これが自分の求めていた幸せなのか? 愛する家族と故郷で暮らしていくほうが幸せではないのか?」という思いでした。
EさんがUターンを考えたときに唯一心配だったのは、地元では今までのようにやりがいのある仕事はできないかもしれないということです。そんな不安を抱きながらの転職活動でしたが、新たな挑戦を始めようとしている老舗企業と巡り合いました。
「地方には、東京ではつかめなかったチャンスもあるのですね」と目を輝かせるEさんに、Uターン転職の感想や富山での生活について聞きました。
■このまま東京で暮らし続けることが、自分にとっての幸せなのか?
Eさんは現在、富山にある老舗の製薬会社で働いています。入社と同時にデジタルマーケティング部に配属され、マネージャーとして化粧品のネット通販事業のマーケティング戦略の立案・実行に取り組んできました。
2つの新ブランドのローンチと、それに合わせて新ECサイトのオープンが決まっていたので、全体のプロジェクト管理もあわせて担当しました。
現在はヘルスケアマーケティング事業部の「販売戦略グループ」「顧客対応グループ」のグループマネージャーを兼務しています。これまでの仕事に加え、医薬品や健康食品の通販など、新しい事業の柱づくりにおけるマーケティング業務も任されています。
Eさんは富山出身で、東京の大学へ進学し、そのあとはアメリカの大学院で2年間、広告・広報を勉強しました。帰国後はその知識を活かすために、東京のPR会社に就職し、その後、外資系の化粧品会社、保険会社、法律事務所、マーケティングリサーチ会社に勤務しました。いずれも企業広報やマーケティング業務を担当していて、その間は、勤務地も生活の場もずっと東京でした。
転職のきっかけが具体的に何かあったわけではありません。ふと自分の人生を振り返ったときに、「年齢も年齢だし、そろそろ家族と一緒に暮らしたい」と思ったのだそうです。
「東京での生活は楽しかったのですが、疲弊している自分も感じていました。人が多くて、常に競争にさらされていたり、誰かに評価されていたり……。独身で自由ですし、お給料もそれなりにもらっているけれど、『私は今、幸せなのかな?』と疑問に思ってしまったのです。妹は富山で結婚して、子どもが二人いるのですが、その甥っ子たちの成長を近くで見守るのもいいなという思いがふつふつと湧いてきました」
彼女は思い立ったら行動するタイプで、すぐに転職活動を始めました。ただ当初は、富山で女性が活躍できる仕事は、医師などの高度な専門職以外にないと思っていたといいます。
そのため、最初は語学力を活かして英会話の先生になろうかと考えていました。実際に面接も受けて、内定も出ていたのですが、Eさんはそこで立ち止まります。「本当にそれでいいの? そんなに簡単に決めていいの?」という迷いが生まれてきたのでした。
試しに「富山×Uターン転職」でネット検索をかけたところ、ヒットしたなかの一つが私の会社でした。私の会社について聞くと、「いつでも相談に乗ってくれるということだったので登録してみると、いろいろな求人を紹介してもらうことができ、最終的には6社を受けることができました。仕事の内容もマーケティング、社内通訳、ベンチャーの立ち上げメンバーなど幅広く、富山にもこんなにいろんな仕事があるんだと驚きました」と話してくれました。
今の会社に決めたポイントは、現在の上司であるCOOと東京で面談した際、「これからどんどん新しいビジネスを立ち上げたいと思っている。そのためには新しい人材が必要。失敗してもいいから挑戦しよう」という話をしてくれたことだったそうです。
歴史のある会社なのに新しいことに挑戦しようとしているところに、いい意味でギャップを感じたといいます。また、COOの情熱や自分が任せてもらえる裁量の大きさも感じたこと、今までに経験してきたことをなぞるだけでなく、新しいチャレンジもできそうだと考えたことで入社を決めました。