(※写真はイメージです/PIXTA)

地方に転職するときは、何かしら妥協はしなければならないといわれますが、それが、どの点なのか、どこまで妥協できるのかを決めておいたほうが、結論は早いとUターン転職成功者は語ります。募集をしていない会社の扉をこじ開けてUターン転職を成功した人がいます。どのように行われたのでしょうか。キャリアコンサルタントの江口勝彦氏が解説します。

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コンサルタントを活用して企業にアプローチ

■Uターン転職で夢を叶えた成功者

 

Uターン転職への熱意とビジョン、ビジョンに近づくための正しい情報収集、専門家のサポートなどがあれば、幸せなUターン転職を叶えることができるのです。

 

私の会社で転職をサポートし、幸せをつかむことができた人たちを紹介します。

 

■夢を叶えたいなら自分から動け 募集のない志望企業へアタック!

 

Dさんは、日本を代表するIT企業を立ち上げ期から支えてきたキャリアの持ち主です。その転職活動もバイタリティ溢れるものでした。

 

家族とともに地方で暮らすことが長年の夢でしたが、実際に転職活動を始めるにあたっては、どうしても譲れないことがあったといいます。それは、「給料が下がるのは仕方ない。でも、つまらない仕事はしたくない」ということでした。

 

新潟の企業を調べ、「ここしかない」と思える希望の転職先を発見したDさんですが、物理的な距離があり、機動的に動きにくいという問題がありました。

 

そこで、自らコンサルタントを説得して、募集もしていない先方へアプローチを掛けるという裏技を使い、その結果、半年を掛けて内定獲得に成功しました。今や営業本部長として活躍中のDさんに「扉は叩いてみるもんだと実感した」という話を詳しく聞きました。

 

■給料は譲れても、仕事の面白さだけは譲れない

 

Dさんは現在、アウトドア用品の製造販売を手掛けている会社で、営業本部長を任されています。スポーツ量販店などにアプローチする営業部隊や、全国に展開する直営店の小売スタッフ、アフターサービス、カスタマーサービスなどの部隊を統括しています。

 

Dさんは大学を卒業してからずっと、インターネット総合サービス企業で働いていました。入社した頃はまだ小さな会社でしたが、今は大企業になっています。彼自身もいろいろな部署を経験しましたが、なかでもいちばん長かったのは宣伝の仕事です。部署の立ち上げから参加して、最終的にはグループマネージャーを任されていました。

 

そんなDさんに転機が訪れました。

 

もともとDさんは新潟出身で、妻も北海道出身なので、いつか地方で暮らしたいと話していました。子どもが生まれて喘息をもっていたことも転職したい理由の一つとしてありました。ただ実際は、地方に行けば収入も下がるだろうという懸念から、なかなか踏ん切りがつけられずにいたのです。

 

そんななか行動を起こすきっかけになったのは、東日本大震災でした。

 

「人間、いつどうなるか分からないなと思いました。やりたいことがあるのだったら、元気なうちにやったほうがいいと考え、地方暮らしを真剣に検討し始めたのです。地方といっても、地縁血縁がないところはあまりイメージができず、近くに親戚がいるようなところがいいということで、新潟に帰ることに決めました」

 

新潟の会社を調べて見つけたのが、アウトドア製品の開発・製造・販売を展開するアウトドアブランドでした。昔からキャンプが趣味だったDさんは、「ここで働いたら面白いだろうな」と直感しました。

 

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本連載は江口勝彦氏の著書『幸せのUターン転職』(幻冬舎メディアコンサルティング)から一部を抜粋し、再編集したものです。

幸せのUターン転職

幸せのUターン転職

江口 勝彦

幻冬舎メディアコンサルティング

30代になると結婚や子どもの誕生、マイホームの購入、親の介護などさまざまなライフイベントを迎えます。 そのタイミングで都会からのUターン転職を考える人もいますが、年収やキャリア形成の不安から「自分が働ける場所はな…

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