「学生の理解度把握」と「講義の難易度」は調整必須
実際に講義をするにあたり、どんな内容を教えるか、パワーポイントは用いるのかどうか…といったことも気になりますが、なにより重要なのは「学生の理解度」と「講義の難易度」が大きくズレないということです。
仮にズレる場合、「簡単すぎて物足りなかった」と思われるほうが「難しすぎて理解できなかった」と思われるよりはるかにマシです。このことは、しっかり認識して、少なくとも自分が思っている学生の理解度より数段易しい講義をしましょう。
そのうえで、最初の数回の講義に際しては、理解度アンケートを実施するとよいでしょう。それをしないと、学生がまったく理解していないのに難解な講義を繰り返すことになりかねません。
最初の期末試験の時に、白紙答案ばかり出て来たらどうしようもありません。そうならないように平易な講義をするとともに、学生の理解度を把握することがなにより重要でしょう。
「学内行政が得意」と思われては、いろいろ大変!?
サラリーマンは、仕事ができると思われると仕事が増えますが、その分だけ将来出世する可能性が高まるので、喜んで忙しい仕事をこなす人も多いでしょう。
大学教員も、仕事ができると思われると仕事が増えるという点は同じです。ただ、仕事が増えるだけで、将来偉くなれるということが期待できない、という点は大きな違いです(笑)。
准教授が教授になれるか否かは、主に論文の質と量で決まりますから、学内行政をしっかりこなしていても、それで教授になれるというものではありません。
学内行政をしっかりこなしていると、学部長にはなれると思いますが、学部長になるのは嬉しいこととは限りません。むしろ多くの教授は「学部長にはなりたくない」と思っているようです。仕事が多いわりに権限が小さく、「商店街のお祭りの世話役」といったイメージだからです。
したがって、自分は学内行政が得意だと思っても、不得意を装っているほうがいいと思います。とくに民間企業人から大学教員になった人は、事務等が苦手だったとしても、大学では「学内行政が得意なほう」に分類される人が多いでしょうから、「自分に活躍の機会がやってきた」などと張り切ることがないように、気をつけたいものです。
今回は以上です。なお、本稿は拙著『大学の常識は、世間の非常識』の内容の一部をご紹介したものであり、すべて筆者の個人的な見解です。
塚崎 公義
経済評論家・元大学教授