文系の大学教授は、研究内容を教えているわけではない
歴史的に見れば、大学というものができた当時は、研究者のもとに研究内容を学びたい人々が集まって来ていたのでしょう。いまも理科系の学部の場合は、教授の研究室で学生が実験をしながら、教授の専門分野について学ぶことが珍しくないでしょう。
しかし、現在の大学の、とくに文系の学部の多くは、教授が狭い範囲を深く研究している一方、学生は広く浅く学ぶわけで、教授は自分の研究内容を学生に教えているわけではありません。
たとえば、室町時代の貨幣制度について研究している教授が「金融論」の講義を担当して、日銀の金融政策や株価の変動要因等々について講義をしていることもあるわけです。
レベル的にも、一部の難関大学を別とすれば、教授が書いた論文の内容を理解できる学生が多いとは思われませんし、教授も自分が書いた論文の内容を講義で披露することは多くないでしょう。
これは、教授にとっても学生にとっても、好ましいこととはいえません。教授は必ずしも自分が得意でない分野のことを教えるわけですし、それ以前の問題として、教えることが得意でない研究者が教授になっているケースも多いでしょうから。
得意な人が得意なことを集中的に担当しては?
大学教授の仕事は「研究」と「教育」と「学内行政」に大別されますが、3つとも得意な人は稀でしょう。それなら、学内行政は事務職員に任せ、教授は研究者になるか教育者になるかを分ければいいわけです。得意な人が得意なことを集中して担当する「分業」ですね。
そうすれば、研究が得意な人は研究に専念でき、教育が得意な人は教育に専念できるわけで、本人にとっても、学生にとっても、大学にとってもよいことだと筆者は強く感じています。
国立研究所に研究者を集めれば、研究も効率化できる
大学教授の多くは研究者を選ぶでしょうから、彼らを大学が雇っている必要はありません。研究者が教育を担当しない以上、研究者の給料や研究の予算は、学生の支払う授業料ではなく税金で賄うべきでしょうから、大学が雇うよりも国が研究所を設立して雇うべきでしょう。
その際には、全国数ヵ所に設置する国立の研究所に研究者を集めれば効率的でしょう。各大学で似たような研究をしている人がいるならば、共同研究することもできるでしょうし、各大学の図書館にそれぞれ多くの専門書を置いておく必要もありませんから。