CRS制度普及の背景にあった「アメリカの怒り」
海外のプライベートバンクにおけるもっとも大きな変化として念頭に置くべきは、なんといっても2018年に開始された加盟国の共通報告基準(CRS:Common Reporting Standard)による自動情報交換制度の開始です。とくにアジア・大洋州や欧州との情報交換においては、当時で50万口座の情報が日本側に提供されています。
これにより、世界のプライベートバンクの様相は一変。スイス、シンガポールといった「鉄壁の守秘性」を売りにしていたプライベートバンクは、その影響をもろに受けることとなります。
この制度には、世界のほぼすべての国が加盟しています。2011年のアメリカ同時多発テロが起きてから、テロリストの資金の預け場所としてオフショア金融には厳しい視線が向けられるようになりました。とくにテロ被害の当事者であるアメリカの怒りは相当なもので、圧力は執拗でした。
例えば、スイスの大手UBSや、スイスでもっとも古く現存していたプライベートバンクのウェゲリン等によるアメリカ居住者の所得隠し=TAX EVASION(脱税)幇助行為が明らかになったことで、アメリカからさまざまな制裁を科され一層の情報開示圧力を受け、それに応えざるをえない状況となりました。これがCRS制度の普及の背景です。
このように、CRSによってスイスのプライベートバンク守秘神話は終焉しました。ほかのオフショア金融センターといわれる地域も同様です。
スイスといえば、名作小説の「アルプスの少女ハイジ」や、壮大な山脈が連なる風景から、牧歌的かつ清廉なイメージが思い浮かぶかもしれませんが、世界中のブラックな資金を含めた「さまざまな訳アリ資金」が集まるという側面を持っている(持っていた)ことを理解しておくとよいでしょう。
テロが起こる2011年以前は、スイスのプライベートバンカーたちが現金をアタッシュケースに入れて堂々と飛行機に乗り、顧客に直接手渡していたような「古き良き時代」でもありました。
スイスのプライベートバンクからの送金はすべて匿名で、「我々の顧客の1人=One of our clients」という名義で送金されていましたが、いまは実名でしか送金できなくなっています。まさに人気劇画「ゴルゴ13」にも出てくるスイス銀行の守秘性を誇っていたわけですが、いまとなっては冗談としか思えない逸話です。
このように2018年にCRSが開始されたことで、それまでスイス、シンガポールなどにプライベートバンクの口座を持っていた資産家や富裕層に管轄の税務署から突然「お尋ね」という書面が送付され、急遽その対応に追われて大変な目にあった…というのが実情でしょう。
これら当局からの「お尋ね」に動揺した資産家、富裕層は、とりあえず国内に資金を戻すという動きも、少なからずあったのではないかと思います。
このCRSにより各国のプライベートバンクによるコンプライアンスのための労力や費用は膨大なものとなり、それに伴い、顧客にとってはさらにプライベートバンクで口座開設をするハードルが上がったといえるでしょう。