居住地の整備においては、川の氾濫を抑え災害を防ぐ「治水」は非常に重要です。戦国時代、現在の山梨県を治めていた武田信玄による治水方法は非常に画期的かつサスティナブルであり、いまもなお引き継がれているのです。元国土交通省河川局長で日本水フォーラム代表理事の竹村公太郎氏が解説します。

武田信玄が生み出した、甲府盆地の画期的な治水方法

古来、水害が発生していた山梨県の甲府盆地は、戦国時代武田信玄によって大規模な治水工事が行われました。さまざまな技術を導入された「信玄堤」は、洪水や氾濫を抑えただけでなく、SDGs的な発想で現在までその名を残しています。

 

 KEY WORD 

甲府盆地、信玄堤

 

日本が戦国時代に突入していた時期、甲斐国(現・山梨県笛吹市)守護である武田氏は、平野部である甲府盆地東部を拠点としての整備を行いました。

 

盆地底部は、笛吹川と釜無川両河川の氾濫原で、古来、大雨による水害が発生する地域で、安定した定住は困難でした。有史以前、甲府盆地は湖沼地帯であり、周りを囲むアルプスの山々から流れ込んだ土砂が湖底に沈降し、形成されたのが現在の盆地です。しかし、湖沼が陸地となった後も、この地は山々から流れ込む水の氾濫にさいなまれました。

 

[図表3]釜無川に今も残る堤

 

16世紀半ばに行われた武田信玄の治水工程では、まず、大きな御勅使(みだい)川を分流する水路を造り、川の勢いを減少。分流した川も、釜無川の「高岩(竜王鼻)」と呼ばれる絶壁にぶつけて勢いを削ぎます。

 

さらに、釜無川の左岸堤防には木杭の枠を設置し、濁流の堤防への衝突を阻みます。また、一部には「霞堤」の手法も採用しました。霞堤は堤防に不連続な切れ目を入れ、増水した水を越水させてエネルギーを逃がし、洪水流をゆるやかに本流に戻す機能を持っています。

 

[図表4]信玄の治水の概要

 

さらに特筆すべき点は、信玄が当地の守護神である三社神社を堤の上流に祀り、祭りを推奨した点。各村から集う神輿が堤防の上を通るので堤防は踏み固められ、年を追うごとに強化されるわけです。今でいうSDGs的な発想を盛り込んだことで、信玄堤は現在も受け継がれているのです。

 

 

竹村 公太郎

元国土交通省河川局長・日本水フォーラム代表理事

 

 

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