「いい会社」を作るのは99.9%経営者の力
■経営指針書は宣戦布告書
折からの震災特例で、兵庫県と神戸市から合わせて5000万円の融資が受けられることがわかった。早速イタリアのメーカーに共同開発の合意を取り付けると、5000万円をすべて新商品開発プロジェクトにつぎ込んだ。「いや、いま思うと冷や汗ものですよ」と、田中氏は強引かつ独断的な行いだったと苦笑する。
しかし1年かけて開発したプラスチック製ジャバラ、製造装置はライバル社の追随を許さない商品として、高速・軽量化が至上命題になっている工作機械メーカーなどから高く評価され、日本ジャバラの主力商品の一つに育ってきている。その後、自己資本比率向上にも努め、これがリーマンショック時に助けとなった。
「経営者は誰もがいい会社をつくろうと取り組んでいるが、私は中小企業の場合、それができるのは99.9%経営者の力だと思っています」と田中氏は断言する。
確かに震災直後、5000万円の融資が下りることがわかったとき、全額開発投資に回すと田中氏が自らの決断を公表したならば、幹部や社員から袋叩きに遭ったに違いない。「リスクが大きすぎる」「俺たちの生活はどうなる」等々。
当然、その声に押されて開発を断念していたならば日本ジャバラの前途はどうなったかわからない。自己資本比率向上にしても、そうした資金があるなら社員に回せとの声が起きたことは想像に難くない。
「私は、同友会が作成を指導する経営指針書は(経営者と)社員との合意の書ではなく、社員への宣戦布告の書だと認識しています。経営者は社員他から大きな反発があっても、やり遂げるべきことは最後までやり遂げることが大事。それがあってこそ、社員の日々の生活、将来の安定が保証できる。ある会合で、会社が赤字になってボーナスが払えなかった、しかし社員とともに指針書をつくってきたので、誰からも文句は出なかったと自慢気に話す経営者を見たことがある。そのとき、私はそれでもおまえは経営者なのか、経営者としての責任を果たしたのかと、無性に腹が立ったことを覚えています」
田中氏のことを異端視する同友会員も他県などにはいるやに聞くが、第三者の記者から見るとごく当然のことを言っているだけに思えるのだが、どうだろうか。指針書を一緒に作ってきたので、ボーナスを払わないですんだでは、やはり本末転倒である。
兵庫同友会においてこの田中氏の盟友ともいうべき存在が、森合精機社長の森合政輝氏である。いかにも叩き上げ経営者然とした厳しい風貌の森合氏は、父母が創業したわずか10人ほどの鉄工所を、父親が早くに亡くなったために定時制高校に通いながら継承し、小さな下請けから、いまでは自社ブランドの工業用洗浄機や油圧機器を製造・販売する中堅企業にまで成長させ、ここ数年、京都大、大阪大、神戸大など関西の有名大学からも新入社員を次々と採用している辣腕経営者である。業績も右肩上がりで、直近2019年1月期の売上高は82億円に達する。
森合氏は、経営者が間違えてはならないのは「目的と目標」だと言う。「経営者にとり大事なのは目的。経営理念です。しかしある人は理念を重視するあまり、経営の数字、つまり目標を軽視する。またある人は目標、つまり数字のことばかり言い立てる。これでは社員が付いていかない。私が社内で常に言っていることは、数字が目的ではない。あくまでも会社を成長させ、地域や社会に貢献し、あなたたちの生活を守ることが目的だ。しかし、だからと言って、数字目標を達成しないことには、目指すべき目的を達成できないことははっきりしている。その点をよく考えてほしい」
理念は大事。しかし数字を軽視するな。兵庫同友会のリアリズムが、よく理解できるだろう。
■「頭をぶん殴られるような」厳しい指摘
「二代目だが、先代の番頭さんを心服させ、企業体質を変えただけでなく、業績も大きく伸長させている」
現・徳島同友会代表理事山城真一氏が、後継者として大きな期待を寄せているのが次期代表理事に決まっている、シケン社長の島隆寛氏だ。この島氏も堅実経営志向の強い同友会会員のなかにあっては、成長重視型の若手経営者と目される一人だ。がっちりした体形、メリハリの利いた明晰な話し方がなおそうした印象を与える。
島氏は27歳のとき銀行員を辞め、父親が創業した歯科技工物の製造・販売や歯科材料の販売を主業とするシケンに入社、その1年9カ月後の2003年に、「社長の寿命30年」を持論とする父親の文男氏から社長の座を引き継いだ。
歯科技工士というと歯科医師から注文を受けて、技工物を一人でコツコツと作り上げるイメージが強いが、島氏の両親は技工士の仕事を企業化することに思い至り、1975年に徳島県南部の小松島市において小松島歯研の名で創業した。
まず営業と技工の仕事を分離、ついで技工物製造の作業工程を分業、効率化して、技工の世界の企業化を推進していった。
その後、営業所網を小松島だけでなく、高松、岡山、松山、大阪、神戸、さらには東京近辺へと広げていった。技工所も同様に、徳島県鴨島町に建設したのち、営業網拡大にともない大阪や首都圏にも新設している。
そうした拡大過程が続いているなかで社業を継いだ島氏は、間もなく自社の弱点に気が付いた。「(営業方針が)早い安いにフォーカスしており、品質が二の次になっている」ということだった。拡大路線をとる企業によく見られるケースである。これでは最終ユーザーの患者からクレームが相次ぎ、直接の顧客である歯科医師からも見放されることになる。それにこうしたプライドのない仕事をやっていると、社員も誇りを持てず会社を見捨ててしまう。
島氏は紹介があって徳島同友会に入会し、まず社員に会社に対して誇りを持ってもらいたい、そのためには経営指針をつくることだと認識し、指針書をつくる会に参加する。社長に就任した翌2004年のことだった。
今日、「経営は同友会で学んだ」と何はばかることなく明言するだけあり、シケンでは経営指針書については担当部署を経営企画室内に置き、毎年論議を重ねて修正を加えているほか、年4回全社員参加の経営理念研修を行ってもいる。その点では同友会経営の優等生と言っていいほどだ。
とはいえ、まっすぐにそこへ至ったわけではない。経営指針をつくりあげる過程で、ともに学んでいる経営者たちから「会社は誰のものなのか」「真の顧客は誰なのか」「何のために経営指針をつくるのか」などなど、「頭をぶん殴られるような」厳しい指摘が相次ぎ、それらを真剣に考え込む中で、「顧客満足を追求し、人々の健康に貢献するとともに、社員が誇りを持てる会社にする」という同社の経営理念がつくられ、同時に自社の弱点を克服する道が見つかっていったという。
「ともかく最初は、社員と一緒に経営指針をつくるという意識がなかった」と島氏は苦笑いする。ということは、社員はパートナーという意識もなかったということだ。
しかし、経営指針書の作成、社員との論議を通じて、顧客方針「お客様とのコミュニケーションを大切にし、共に成長できるパートナーを目指します」などが明文化されたことで、島氏自身も変わり、社員の仕事への誇り、会社への愛着心も強まり、社業はさらに伸びていく。離職率も、営業部門などは一時20%を超えていたが、いまでは5%前後にまで低下しているという。
島氏はこの間、成長市場である埼玉、神奈川など東京近郊や、大阪周辺に次々と営業拠点を新設、あるいは拡張していった。技工所も同様である。
すでに売り上げの半分は首都圏であり、技工物の8割は小松島本社など四国で行っている。首都圏などで歯科技工士の募集が難しくなっているからで、2019年には熊本に技工所を開設する予定だという。物流は宅配便などを活用している。
その一方で、1998年に買収した人工歯の製造を手がける会社クエスト(愛知県)の本社・研究所を、2019年6月には小松島市のシケン本社の隣接地に移転させるなど、果断な経営を展開している。徳島大学と早くから連携しているので人材を確保しやすいことと、同友会の理念である地域との関係を大事にする考えを実践するためである。
島氏はこう宣言する。
「現在67億8000万円の売り上げを、10年ビジョンでは100億円にすることを目指している」
徳島同友会の仲間の一人は「島さんは常にチャレンジャー。同友会の代表理事として地域貢献などに思い切った発想で何か施策を打ち出してくれるでしょうし、自社の経営についても同様。大いに期待しています」と語る。
同友会の「成長」という言葉への認識は、時代の変化と新しい経営者の登場により明らかに変わりつつある。
清丸 惠三郎
ジャーナリスト
出版・編集プロデューサー