「神様少しだけ身体を壊して」から伺える啄木のヘタレっぷり
「もし新聞社に真面目に通っていたら」という仮定の話になりますが、新聞小説『鳥影』のほかに「買い叩かれた」何作品かの小説の原稿料も入れれば、明治41年、東京1年目の啄木の年収は最低でも450円(=450万円)近くはあったでしょう。裕福とはいえませんが、それなりに暮らせたはずなのに、そうはなりませんでした。
翌年も似たようなものです。明治42年(1909年)4月10日の『ローマ字日記』には、「神よ、わたしの願いは これだけだ、どうか、からだを どこか 少しこわしてくれ(略)病気さしてくれ!」と、ダメ人間の魂の叫びが記されています(原文はローマ字。啄木は「妻に見つかるとやばい内容しかない」との理由で、自身の心情をローマ字で吐露した)。
新聞社の仕事がイヤなので休みたい。だから神様少しだけ身体を壊してください、軽い病気にさせてください……という啄木の脳裏からは、とうの昔に1,373万円弱の借金の存在は消え去っていたのでしょう。
堀江 宏樹
作家・歴史エッセイスト