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だいたい嘘である
「他人の噓を見破る方法」という類いの本はこれまでたくさん出版されてきた。著者の肩書は心理学者であることが多い。海外ドラマでも心理学者が非言語情報を使って、犯人の噓を見破る筋立てのものがある。
「噓をついているときは目をそらす」「噓をついているときは笑顔が多くなる」「噓をついているときは自分の身体に触れたくなる」。これらのことは心理学者でなくても、多くの人がなんとなく雑学本などを通して知っていることで、噓をつくときには、むしろやらないのではなかろうか。
もちろん真面目な心理学者も、噓がなんとか見破れないかと、随分研究を重ねてきた。「言い間違いが増える」や「声のピッチが速くなる」には若干その傾向が表れるが、統計処理を施して有意差が現れるほどの違いはない。結論的には、噓を見破る科学的エビデンスはないといってよい。
私たちが他人の噓を見破るのは、複数の情報が矛盾したときである。例えば学生が、卒業論文のできた部分までを先生に見せるときがある。ある学生の卒業論文を読んでみると、「1章」の途中で終わっている。私が「君は先週、2章の最後まではできています、と言ったよね」と聞く。私からそういう突っ込みが入ると思っていなかった学生が、慌てて答える。「2章のファイルを今日開いてみると、なぜかWordのファイルが壊れてしまって開かないのです」
こういうときに「言いよどみ」があると、私たちは「噓だな」と見破る。言いよどみだけでは見破れないが、「その日に限ってWordのファイルが壊れる可能性」と付き合わせてみると、それが噓である可能性が高いことがわかる。もちろん、間髪を入れずに言い訳が出てきたときも怪しい。言い訳を“鉄壁に”準備してきたのだな、と感じるからだ。
余談だが、私は20歳のときから45年間原稿を書いて生きてきた。これまで何百回となく、締切の日に原稿が書けていない言い訳を編集者にしてきた。本当にファイルが壊れて開けなくなったときもあるが、それは稀(まれ)で、ほとんどは書けていないのである。
学生が、「ファイルが壊れた」と言い訳をするとき、私は心のなかで「私の文章しか入っていないファイルが壊れたのは、40年以上も前、5インチのフロッピーデスクを使っていたときのことだ」と独りごちながら、許してしまう傾向がある(最終提出日は、大学が公式に決めているので、私の責任ではなくなる)。
心理学的に噓が見破りにくい理由は、人類が噓をつくための“研究・開発”に膨大なエネルギーを割いてきたからだ、と私は考えている。人類が有史以来、切実な思いで“研究・開発”を行ってきた成果だから、歴史の浅い心理学という学問ではまだ太刀打できないのであろう。
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