危険な遊びをする子供たち、厳しく叱るおばあちゃん
子供が数名、川のそばで「ちょっと危険だな」と思われる遊びをしているとする。通りかかったおばあちゃんが子供たちを叱る。叱ったときの口調が厳しかったとしよう。それを見た人は、確かにちょっと危険な遊びではあるが、あそこまで厳しく叱らなくても、と思う。そのおばあちゃんを初めて見た人は、性格のきつい人だと判断するだろう。
だが、そのおばあちゃんは、かつて自分の孫を水難事故で亡くしていたのかもしれない。もしそうなら、おばあちゃんが、通りがかりで見かけただけの子供を、強い言葉で叱った理由がわかる。おばあちゃんに対する評価は、「性格のきつい人」から「子供の命を大切に思う人」に変わるかもしれない。
しかし、子供を激しく叱るおばあちゃんの一局面だけを見た人は、恐らく「性格のきつい人」という評価になるだろう。厳しい言葉で叱る人を見たとき、私たちはその人を、内面そのものが厳しい人だと思いがちである。「対応バイアス」と呼ばれる心性である。
だが、人にはいろんな側面がある。一局面だけではなく、その人のいろいろな局面を見て、できるだけ客観的に評価したいものである。
不合格通知…親「勉強不足」、子供「ヤマが外れた」
一方で、自分が行為を行った場合は、原因を自分の内面にではなく、周囲の状況に求めてしまう習性がある。結果が悪かった場合は、特にその傾向が強い。
大学入試で志望校に不合格だったとしよう。こういう場合、「今年の問題は例年より難しかった」「ヤマが外れた」など、原因を自分以外のものに求めたりしないだろうか。問題が例年より難しくても、ヤマが外れても、合格する人はいる。冷静に考えるなら不合格の原因は実力不足である。ところが、人は自分に原因があるとは思いたくないのである。
あなたが親で、子供がテストで悪い点を取ってきたとしよう。あなたは、おそらく「勉強が足りなかったんじゃないか」と言うのではないだろうか。そして「次はもうちょっと勉強しよう」と励ましたりする。多くの場合、「今回のテストは、問題が難しかったからたまたまできなかったんだよな」や「ヤマが外れちゃったのか。それじゃ仕方がないよな」という慰めの言葉は発しにくい。
自分が行為をする立場であるときと、観察する立場であるときは、原因をどこに求めるかが違ってくる。
これは「行為者─観察者バイアス」と呼ばれるものである。
行為者であっても、自分の行為によって成功したときは、原因を自分の内側に求める傾向がある。成功したときは自分の手柄になる。しかし、失敗したときには状況のせいにしたくなる。自分勝手なものだが、人の習性だから仕方がない。人は元来そういうものだと知っていれば、そんな人が周囲にいても、いちいち揚げ足を取るほどのこともないだろう。
失敗の原因を考えるときには、「(自分が)する」と「(他人の結果を)見る」とは大違いであることを肝に銘じたい。
2025年2月8日(土)開催!1日限りのリアルイベント
「THE GOLD ONLINE フェス 2025 @東京国際フォーラム」
来場登録受付中>>
注目のセミナー情報
【税金】11月27日(水)開催
~来年の手取り収入を増やす方法~
「富裕層を熟知した税理士」が考案する
2025年に向けて今やるべき『節税』×『資産形成』
【海外不動産】11月27日(水)開催
10年間「年10%」の利回り保証
Wyndham最上位クラス「DOLCE」第一期募集開始!