余力がある段階で次の行動に移してみる
■僕の相方にとっての19年
僕は芸能界に残りましたが、相方はレストランで働いたり、芸能プロダクションでマネージャーをしたりと転職を繰り返し、結局、今はテレビの番組制作会社の社長になっています。番組制作会社は、彼が自分で立ち上げました。
僕は芸能界に残ることだけが成功じゃない、と相方を見ていて感じます。自分で一つのお城を建てた人間なんです。
「続けることだけが素晴らしいということでもないな」とも感じます。問題はその続け方だと思います。一つのことをずっとやるというと、みんなから素晴らしい、美しいと思われがちですが、「いや、そうじゃないことがいっぱいあるぞ」と思うのです。
相方は転職を重ねながら、自分の城を造りました。造るぞという気持ちを持って、その気持ちの中に自分の理想を入れ込んで、相当エネルギーを使ったと思います。
社長になってからのほうが大変だろうから、いまだに苦労はあると思います。しかし、何もなくなってから次の行動をとるよりも、相方のように余力がある段階で次の行動に移してみるというのも、一つの手かなと思います。
僕はこの世界しか知らないですが、前職で仕事ができた人は次の転職先でも仕事ができるはずです。ダメなヤツが次の会社で急に社長になることはないわけです。
今の仕事が嫌だなと思っても、そこで一つカタチをつくり、小さくてもいいので成功させてから、次の職に移るほうがその人のためだと思います。
天狗になる元気さは持っていてもいい
人と争って自分が間違っておっても強情を張り通す、これが元気がよいと思ったら大間違いである。
【『論語と算盤』人格と修養】
■勘違い「天狗」も元気
渋沢さんは、「元気」をどう考えていたのでしょうか。『論語と算盤』を、僕も読みましたが、自分の理想や信念という目に見えない価値を、時間をかけて、苦労しながらも、仕事で、あるいは家庭で目に見えるカタチにする強い意志を「元気」と考えていたような気がします。
渋沢さんの言葉の意味とは少し変わってしまいますが、僕たちの生きる芸能界で言うと、若い頃は少し売れ出したら天狗になってもいいと、僕は思っています。ただし、この勘違い、天狗になっていたことを、しっかりと気づければというのが前提です。「そういう天狗になる元気さは持っていてもいいんじゃないかな」と思います。
しかし、それだけでは、前に進めなくなる時期が必ず来ます。そこで、気づくことがとても大切なように思うんです。どこで気づけるかというのが、僕はその人の人生の大きなポイントかなと思います。
ビビる大木