今回は、主要社員の退職による会社の価値棄損で事業譲渡の計画が頓挫した例を見ていきます。※本連載は、起業支援NPO、金融コンサルティング・M&A・不動産・投資教育事業会社などを多数運営する、佐々木敦也氏の最新刊『中小ベンチャー企業経営者のための“超”入門M&A』(ジャムハウス)の中から一部を抜粋し、実際の中小ベンチャー企業のM&Aを例にとり、M&Aを中小企業経営成功の切り札にする方法を解説します。

事業譲渡の説明会後、社員から反発が・・・

前回の続きである。

 

※1)M氏は、同じ業界で人材派遣会社乙社を経営する知人K氏にそれとなく事業譲渡の相談をした。M氏自身もそろそろ引退したいという想いもあった。乙社は甲社の譲受に乗り気であった。

 

同じ人材業界で派遣事業を主とする乙社は、より専門的な領域でのサービス展開を望んでいた。そして、①甲社の売り上げは下降しているものの、即戦力の営業マンがそろっていること。②転職希望者の情報も豊富であること、などを評価していた。M氏とK氏の話しあいのもとで売却の具体的な話が進み、方向性が決まったところでM氏が社員に対する説明会を開いた。

 

しかし、その説明会後、(※2)甲社社員からは「乙社には移りたくない」「継続雇用は希望しない」「独立を考えたい」等の否定的な意向が多く出された。

 

その理由は乙社と甲社との管理体制に違いあったからである。すなわち、①自由度の高い甲社に比べて時間管理が厳しいこと、②成果報酬システムが穏やかなこと、③実力派営業マンからすると待遇が下がること、などであった。(※3)そしてS氏とK氏のやりとりが頻繁に社内で行われていたこともあり、ある程度社内に情報が浸透してしまっていたのである。

 

(※4)その結果、甲社の最大資産である主要な営業マンが抜けることとなり、乙社と甲社の事業譲渡の話はあっさり頓挫してしまった。

労基署指導によるサービス残業代清算、自宅も売却へ

M氏は、甲社は成功報酬型の仕組みであり、業績が悪ければ人件費も抑えられる仕組みであったので、今回の件を機に間接部門の人員を減らし、会社の規模を縮小して残された営業マンでやり直す、と考えた。

 

しかし、間接部門にいた元社員からの告発で労働基準監督署(労基署)から指導が入り、社員に対してサービス残業代を支払う事態となったのである。主要な営業マンを失った上に想定外の費用が発生し、甲社の状況は急降下。

 

他の買収候補も現れず、事業継続に自信を無くしたM氏は清算を決意。個人で所有していた不動産や担保としていた自宅を売却しなければならない結末を迎えてしまった。

 

失敗の教訓

 

(※1)たまたま相手が知り合いであると、M&Aアドバイザーを利用しないで交渉を進めるケース(直接交渉)もあるが、交渉の進め方やトラブル発生時への対応を含め、直接交渉は問題となることが多い。適切なM&Aアドバイザーがついていれば、甲社は清算せずに済む方法があったかもしれない。

 

(※2)譲渡すべき価値(本事例は実力派営業マン)が明らかに棄損した場合、売却価格の低下、さらには譲渡の不成立にもつながる。

 

(※3)M&Aの進行過程で社員に情報が漏えいするのは問題。いたずらに不安感が増大し、反対意見が出やすい。因みにM&Aに関する交渉等は社内で行ってはならず、オーナー自宅やM&Aアドバイザーの事務所で行う。また社内での電話・ファックス・Eメールも不用意に会社からしてはならない。資料用意は、会社に誰もいない休日等に行う、などの注意が必要だ。

 

(※4)賃金形態・就業形態・雇用形態などは組織・文化風土を構成する要因。社員が自社の組織と“何をもって”つながっているのかを客観的にみることが大切となる。仮に甲社と乙社のM&Aが成約しても、PMIで課題が多く、両者の成功には入念なる準備が必要であっただろう。

中小ベンチャー企業経営者のための“超”入門M&A

中小ベンチャー企業経営者のための“超”入門M&A

佐々木 敦也

ジャムハウス

日本の中小ベンチャー企業がM&Aをどのように活用できるか、またすべきか、という視点に重きをおいてまとめた入門書。 元M&Aアドバイザーが客観的・中立的な視点で、大企業でない中小ベンチャー企業のM&A市場を概観し、M&Aの…

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