やり手MRが起業、業績を伸ばしたが・・・
【甲社創業】
M氏は20年間MR職として勤めた大手製薬会社を退職。かねてから企画を練っていた製薬会社や医療系をメインとした人材紹介事業を行う甲社を設立した。前職の大手製薬会社での営業成績は常に上位。モーレツ営業マンで昼は病院、夜は接待、その後会社に戻って仕事をし、深夜にタクシーで自宅に帰るという生活だった。
甲社設立後は、常に実直な姿勢が、周囲から「頼れる存在」となっていった。M氏が転職支援した人材が、次の転職先を検討する時にはM氏を頼り、また友達を紹介する。それがどんどん増えていくというほど人望が厚かった。また一方の企業からも実績とともに信頼を積み上げていた。
経営課題の人的管理は、少しずつ増えた社員のモチベーションを維持させようと、成功報酬を手厚く組み込んだ給与体系を実施し、接待費は惜しまず使わせた。フレックス勤務制度や社内のルール作りも重要視した。ソフト面だけでなく、ハード面でも顧客管理や営業支援システムは積極的に改良した。社員にとっては時間の自由度が高いM氏のマネジメントと努力に比例する給与に満足している声が多かった。
しかし、その一方で不満を持つ社員の存在もあった。営業成績が芳しくない社員の場合は、生活できる最低限の収入となり、そのうえサービス残業や接待で遅い帰宅時間に加え、休日出勤も日常化していた。いわゆる社員の二極化が進んでいた。
本業を補填するつもりで始めた事業も「足かせ」に
やがて時代とともにインターネット環境が向上したことで、足で稼ぐ営業活動に特色があった甲社活動にも影響が出てきた。顧客との直接の関係構築より、サイトとメールでやり取りを終わらせるようになり、その結果、友達紹介などのつながりが少なくなり、全体的に受注数が落ち込み始めていたのだ。
そのような中、M氏は落ち込みを補填しようと教育事業に進出した。専門知識を持たない人材に教育で付加価値を付けて転職支援を始めたのである。多額の広告費もつぎ込んだ。しかし、このように教育を行った人材の大半は、格安の授業料につられただけで、甲社の転職支援を利用するに至らなかった。そして、この悪循環は当然のように本業を圧迫した。採算を度外視するやや無理な事業だったのである。
M氏は、同じ業界で人材派遣会社乙社を経営する知人K氏にそれとなく事業譲渡の相談をした。
この話は次回に続く。