医学が進んだ古代ローマ
古代ローマ人は、古代エジプトとギリシャから医学を学んだようです。ローマ帝国では、領土を拡張するために兵士の健康管理が重視され、戦場で手術を行うこともありました。カテーテルや鉗子、メスなどの手術キットを戦場に携さえ、使用する前には熱湯消毒もしていたのです。痛みを抑えるためにアヘンなどを用いていましたが、麻酔薬はまだありませんでした。また、兵士や退役軍人を治療するための病院も建設されていました。
古代ローマには助産婦がおり、出産のために妊婦の腕や背中を支える椅子も開発されていました。ちなみに、紀元前1世紀に活躍した将軍で独裁政権を敷いたユリウス・カエサルが、帝王切開で生まれたというのは俗説です。帝王切開のことは、ラテン語でsectio caesareaといい、「caesarea(切開する)」を「カエサル」と誤訳したために、「帝王切開」と呼ばれるようになったと考えられています。
また、さまざまな薬草も治療に利用されていました。皇帝ネロが支配していた時代にローマで開業していたギリシア人の医師で植物学者、薬理学者のペダニウス・ディオスコリデスは、600種類以上の薬草を使って治療する方法をまとめた『薬草療法』という本を出しています。ガレノスは症状と対極にあるものが症状を改善すると考え、風邪を引いた人にはトウガラシを、発熱を訴える人にはキュウリを与えていました。
古代ローマの人々は、衛生状態を改善することで病気の蔓延を防げることを知っていました。水道設備を整え、大規模な公衆浴場を建設しました。ローマだけでも9つの公衆浴場があり、温度の異なるプールやジム、マッサージルームを備えているものもあったのです。
このように繁栄を誇ったローマ帝国ですが、395年に西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂し、西ローマ帝国は476年に、東ローマ帝国は1453年に滅亡します。ローマ崩壊後、ルネサンス時代に至るまで、ヨーロッパの医学は進歩を遂げることができず、長い低迷期に入りることになります。