(※写真はイメージです/PIXTA)

東京都内ではいま、惜しまれつつその役割を終える築古ビルが増えています。いずれも戦後の高度成長期にあたる1960年代~70年代に建てられた築60年前後の建物です。なかには取り壊すには惜しい、語るべき歴史が詰まった名建築もあり、解体を反対する声も上がっています。姿を消していく「戦後の名建築ビル」の生い立ちと、その行く末を紹介します。

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電通築地ビル:幻の「東京湾・海上都市構想」

 

東京都中央区築地一丁目の「電通築地ビル」(1967年竣工・築54年)の解体工事は、すでに2021年4月から始まっています。同ビルは、大手広告代理店の電通が「電通銀座ビル」(1933年竣工)に次ぐ新社屋として建立したものです。

 

設計は、戦後復興のシンボルともいえる「広島平和記念資料館」の設計を手掛けた建築家・丹下健三氏。建築家であり、都市計画の専門家でもあった丹下氏は、電通創業者の吉田秀雄氏と意気投合し、築地新社屋を起点に房総半島の木更津までを交通網を結び、その通過点にある東京湾上に一大都市を建造する「東京計画1960」を企てます。

 

しかし吉田社長の死によりこの計画は立ち消え、新社屋新築のみ実現されるに留まりました。

 

2002年、港区東新橋(汐留)の電通本社ビルが竣工したことにより、電通築地ビルにあった本社機能のすべては汐留へと移管され、入れ替わりで関連会社が入居しました。これら関連会社も順次退去したあとの2014年、住友不動産が土地・建物の所有権を取得しています。

 

解体の理由は建物の老朽化と、隣接する首都高速道路(都心環状線築地川区間)を含めた再開発計画です。現段階で公表されているのは高速道路の大規模更新工事程度ですが、銀座や新橋を徒歩圏に捉える好立地ですから、丹下氏並みのダイナミックな計画が企てられていることを期待してしまいます。

東京海上日動ビルディング本館:超高層ビル第1号

 

「東京海上日動ビルディング本館(旧・東京海上ビルディング本館)」は1974年竣工、今年で築47年を数えます。

 

「東京海上」といえば、日本における損害保険会社の先駆けです。同社は岩崎弥太郎氏や渋沢栄一氏など名立たる一流財界人が株主となり、1879年に千代田区丸の内で創業しました。

 

当初は船舶に掛ける海上保険がメインでしたが、1914年から「ノンマリン保険」と称して、火災保険や、当時はまだ民間所有台数が少なかった自動車の損害保険分野に参入しています。

 

1960年代になると、モータリゼーションの伸展によってマイカー所有率が爆発的に上昇し、それに伴い自動車保険のニーズも高まっていきます。増加する契約数に対応するため、同社は自動車保険の総合オンラインシステムを構築しました。今回解体が決定した同ビルが竣工したのは、この時期にあたります。

 

同ビルの設計担当は、ル・コルビュジエに師事し、アントニン・レーモンドのアトリエにも在籍していた日本モダニズム建築の騎手・前川国男氏です。建設地である丸の内エリアは皇居に近いため、建造物の高さ制限がありましたが、1963年の建築基準法改正で規制が撤廃されたたことにより、前川氏は地上30階・高さ約130メートルの超高層オフィスビルを起案します。

 

すると周囲から「法はクリアできているものの、皇居を見下ろすビルディングはいかがなものか」との議論が持ち上がりました。それらの意見も影響したのか、東京都は建築確認を一旦却下します。しかし、前川氏らは粘り強く折衝を続け、最終的に地上25階、高さ約100メートルでの建築認証を得ることができたのです。

 

紆余曲折を経て建ち上がった同ビルも、「従業員の新しい働き方に対応する」という理由から解体されることになりました。解体工事は2023年度着工、2028年度の新社屋竣工を目指します。

 

 

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※本連載は、『ライフプランnavi』の記事を抜粋、一部改変したものです。

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