(※写真はイメージです/PIXTA)

国民健康保険坂下病院名誉院長である髙山哲夫氏の著書『新・健康夜咄』より一部を抜粋・再編集し、自らを「化石医師」と称するベテラン医師の医療経験を紹介します。

患者を他病院に紹介したら…コモンセンスと医者模様

検査担当者が浮かぬ顔をしています。

 

「どうしたの?」

 

「外傷で来られた方の写真を撮ったのだけれど骨折があると思います。でもどうも担当医はそのまま帰宅させてしまったようなので心配で」

 

「それだったらそのように上申すればよかったのに。その方が医師も助かるでしょう」

 

「出来ませんよ。そんなことしたら医師でもないのに余計なことを言うな。馬鹿、たわけと罵られる。だから誰も余計なことは言いません」

 

馬鹿なのは一体どちらか。どうも古風な感覚の医者殿達はこのような傾向があるようです。

 

「俺が医者だ。俺が一番だ。下々の者は黙っておれ」と看護師さん、薬剤師さんなど関係のスタッフが「検査をされていませんがそろそろオーダーされてはいかがでしょうか」「このお薬よりこちらの方が……」「そんなことわかっておる」の一喝。

 

年を取った化石医師などはスタッフからの助言に抵抗はありません。「おおそうだね。気が付かなかった。ありがとう」です。一人の力が及ばないことでも何人もの目で見れば落ちることも少なくなります。

 

ある日突然の手紙が届きました。「ペースメーカーの点検に来られたけれど以前より悪くなっている。だから以後は当院で診ます」。

 

患者さんの自覚症状はなく経過観察の検査でも変わりはありません。当院から診察依頼の紹介をした訳でもありません。化石医師ならば「少し状態が悪くなっているようです。可能でしたら当方で診療を担当させて頂きたいと思いますがいかがでしょうか」くらいな表現をします。でも一方的な通告でした。

 

患者さんを紹介したら折り返し電話が入りました。

 

「紹介状の記載が不備です。いつどのような症状で受診され、それに対しいつどのような治療を行ったか、その結果どうなったのかもっと細かに記載して送って下さい」。

 

必要なことは書いて送ったつもりでした。要求して来たことは初診時の問診を行えばすべてわかることです。問診する手間が惜しかったのでしょうか。同じ医師から別の患者さんのことで電話が入りました。1年以上前に当院で気胸の治療を受けられた方のことです。

 

「また同じような症状が出て、今回は当該病院を受診されたようですが1年前の発症時の様子、治療経過について細かなデータを送って下さい」。

 

気胸は突発的に発症します。今回の発症について細かく問診し実際に診察すれば治療方針は立ちます。1年前のことを問い合わせる必要もないと思うのですが、私が大雑把過ぎるのでしょうか。

 

大学にある患者さんを紹介しました。

 

担当医から「これらの薬はどのような意図で使用されたのでしょうか。お教え下さい」との問い合わせ。患者さんの病気を治すために使っただけで病名と照らし合わせれば使用目的はわかります。問い合わせを受ける程突飛な薬剤投与をした訳ではありません。

 

さて、カルテを詳細に記載してあるなと感心して眺めたらずっと以前まで遡っても同じ記述です。

 

「奥さんが危篤状態」「家族が入院して手術予定」。

 

危篤状態や手術予定が何か月も持続することはありません。電子カルテはすぐにコピー、貼り付けができます。でもカルテに求められるものはその日患者さんにどのような訴えがあり診察した結果、検査の結果からどのように考え、こんな治療を行ったといった診療記録です。

 

どうも最近はコモンセンスに欠けた医師が多いようです。新医師臨床研修制度から生まれる若い医師に期待します。

次ページ患者への気遣いが落とし穴に。診察時の心得「疑え」

本記事は幻冬舎ゴールドライフオンラインの連載の書籍『新・健康夜咄』(幻冬舎MC)より一部を抜粋したものです。最新の法令等には対応していない場合がございますので、あらかじめご了承ください。

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