「2勝1敗1分け」だった大学教授への転身
そして、従来積み上げていた理論に実際の経験を加えて、『コミュニケーションのための図解の技術』(日本実業出版社)という本を出版するに至ります。この本はビジネス書として異例の売れ行きになります。
この本を、経営学者で、ドラッカーの紹介者として著名な多摩大学学長(当時)だった野田一夫先生が読まれたことで、私の人生は大きく変わっていくことになります。「この本は教育に応用できる方法である」と考えられた野田先生から、私は新設準備中だった宮城県立宮城大学の教員にならないかと誘われたのです。44歳のときで、大学は3年後に開学が予定されていました。
私は日航のサービス委員会で事務局次長として改革を推進している最中でした。当然、学問的な研究業績はありません。あるとすれば、ビジネスマンとしての仕事の経験と、知的生産の技術を学んだこと、そして、自ら開発した図解コミュニケーションの理論と技術でした。
ただ、知研での活動経験から、大学で教育や研究に携わることへの興味はありました。書籍を書くことにも魅力を感じていました。
私は日航にいることにまったく不満はありませんでしたが、この際、まったく新しい世界に飛び込んでみようと、教職への転身を決意し、野田先生の要請を受け入れました。野田先生には、わざわざご自身で来社されて、社長に直接、私の転職の要請をしていただいたのです。
妻は反対はしませんでしたが、少なからずショックを受けたようです。それでも、私の決断を受け入れてくれたことには感謝のしようがありませんでした。長女と長男、2人の子どもは仙台の学校へ転校することになりました。
このとき、私はまだ、「豊かさとは何か」について考察はしていませんでしたが、いまから振り返ると、この転身は私にとって、自由の拡大を意味したように思います。
4つの指標で考えてみましょう。収入はダウンになります。自由になる時間は増えます。健康面では特に変化要因はありません。何より大きかったのは、図解コミュニケーションという、自分で開発した方法論について研究し、教えることができる自由を得たことでした。
社会で働くうえで最も必要なのはコミュニケーション能力である。その能力は「理解する(理解力)」「考える(企画力)」「伝える(伝達力)」の3つの能力で成り立っていることを長いビジネスマン生活から確信していました(図表)。
理解力とは、収集した情報の本質やポイントを理解する力です。
企画力とは、自分の頭で新しい考えやアイデアを生み出す力、つまり、収集した情報をもとに付加価値のある情報を創造する力です。
伝達力は、その情報を相手に的確に伝える力です。要はこの3つの能力の育成方法を考えればいい。これは私がビジネス経験と知研で学んだことであり、それを大学で後進に教えていく。
ただし、この3つの能力は座学で知識として教えられるようなものではない。知的生産の技術は、自分で経験しながら身につけるものである。必然的に私の授業は実習が中心になるだろう。それこそ、私の能力を存分に発揮できる授業になるだろう。私は大学教授としての仕事に期待で胸を膨らませました。
経済的自由は減少。肉体的自由は不変。研究者として最も必要な時間的自由と精神的自由は大きく増大する。日航から大学教授への転身は、合わせると2勝1敗1分けの〝勝ち越し〞で自由の拡大、すなわち、豊かさは増えることになります。
人生をより豊かに充実させるライフデザイン
こうして、年齢的には47歳から、青年期に培った知識と積み上げた経験をもとに、壮年期に向けた新しいキャリアづくりのスタートを切ったのです。
その後、私は2008年、58歳のときに多摩大学へと移りました。このときは、収入は変わらない、健康面での条件も同じ、多摩大学は私立大学なので、時間的自由と精神的自由は宮城大学時代より拡大する。合わせると2勝2分けで、やはり自由は拡大することになります。
ライフデザインとは、その後の人生をより豊かに充実させるためのものです。自由を構成する4つの指標のどれがどのように増減するかという視点は、壮年期に向けて人生戦略を立て、ライフデザインを描くうえで大きな判断材料になるのです。
久恒 啓一
多摩大学大学院客員教授・宮城大学名誉教授・多摩大学名誉教授