悪夢にうなされ夜中に何度も飛び起きた
私自身も、当時の大蔵省との仕事上の関係が深かったため幾度となく東京地検で取り調べを受け、しかもそのかたわらで倒れゆく銀行を支えなければならないという二重苦の中、「これは絶対になにかの間違いに違いない、明日の朝、目覚めたらこれまでのことは全て悪い夢だったとなるに違いない」と信じていました。
しかし、銀行が倒産する、あるいは自分が逮捕される悪夢にうなされて夜中に飛び起きるという日々が続き、最終的には元上司が逮捕されることになります。こうしたことで、私の中でこれまで信じていたものが壊れてしまい、自分のこれまでの生き方や日本の金融のあり方、それから公権力としての検察のあり方に対して根本的な疑念を抱くようになっていきました。
この一連の汚職事件の中で、結果として贈賄側から数多くの逮捕者を出すことになりました。同時に、監督対象である金融業界からの過剰接待やそれに絡む汚職が明らかになり、「省庁の中の省庁」といわれた大蔵省のキャリア官僚が逮捕され、多くの幹部の処分・更迭が行われました。また、「銀行の中の銀行」である日本銀行でも、情報漏えいで現役幹部が逮捕され、その陰で多くの関係者が自死に追い込まれました。
こうした出来事が、結果として今のメガバンクの誕生など金融再編につながるのですが、本件については、もう二十年以上も前のことであり、もはや覚えている人も多くはないと思います。
当時の私の心境については、今は新生銀行となっている当時の日本長期信用銀行の執行役員だった箭内昇氏の『元役員が見た長銀破綻』にある次の一節が、最も的確に代弁してくれています。
<九九年五月六日に飛び込んできた長銀の上原隆元副頭取急逝のニュースは、私にとって座っていた椅子から転げ落ちるほどの衝撃であった。経営者の中ではバブルと全く無縁であり、最後の後始末のところで組み込まれただけの人がなぜ、という思いが頭の中を駆けめぐった。
……八五年のある日、長銀旧本店の小さな会議室で、上原隆企画室長をリーダーとする人事改革プロジェクトチームのメンバー四人(私もメンバー)が丸テーブルを囲んでいた。このチーム発足の発端である、「長銀長期ビジョン」についての議論を重ねていたのだ(このビジョンが後に長銀の革命と言われた第五次長期経営計画に発展する)。この長期ビジョンの策定者でもあった上原室長が、静かな、しかし重い口調で語った一言は、一生忘れられない。
「今は不透明な時代だ。皆が行く方向に漫然とついていっても崖から落ちるかもしれない。そうであるなら、考えに考えて、これだと思う道を、たった一人で蠟燭をかざしながらでも進もうよ」
私は深い感銘を覚えた。しかし、それから三年後、長銀は皆と同じバブルの道を走ってしまった。返す返すも残念でならない。長銀が破綻し、再出発を来そうとする今、今度こそ長銀マンの一人一人が自分自身で正しいと思う道を選択しなければならない。その道は様々であり、また予想もしない困難を伴うものかもしれない。しかし、出発点は長銀であり、長銀は心の故郷である。その故郷から力強く一歩ずつ歩き始めなければならない。>