2021年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一は、日本の近代社会のさまざまな分野において大きな影響を与えてきた大人物。令和時代になった今も、その偉業が各地に残っています。渋沢さんがどのようにして偉業を成し遂げるまでになったのか、歴史好きとして知られるお笑い芸人のビビる大木さんが解説します。※本連載は、ビビる大木氏の著書『ビビる大木、渋沢栄一を語る』(プレジデント社)より一部を抜粋・再編集したものです。

民間の資本で日本初の銀行、第一国立銀行を設立

渋沢さんは退官すると間もなくして、第一国立銀行を設立し、総監役に就任します。この第一国立銀行が、現在のみずほ銀行です。

 

大蔵省で働いていたときから、渋沢さんは日本にも海外にあるような銀行が必要だと考えていました。そこで、政府の立場として国立銀行条例の制定を行ったわけです。一民間人となった今、渋沢さんはこの条例をもとに、自ら銀行をつくろうと考えます。

 

同じ時期に銀行をつくろうと考えていた組織があります。それがのちの三井財閥と言われる豪商の三井組です。三井組は江戸時代から為替業務を行っていたので、その経験を活かして三井組だけで銀行を設立しようと思っていたのです。

 

渋沢さんは、国家繁栄のためには三井組だけの利益ではいけないと考えました。そこで、三井組と、同じく豪商の小野組で4割ずつ、残る2割を他の資本家たちに出資してもらう形で、合本組織として第一国立銀行を設立することにしたのです。

 

資本金は合計244万円、このうち三井組と小野組が100万円ずつ出資し、渋沢さんが4万円、残りの40万円を一般から募集した出資者たちに出してもらいました。ただ、ライバル関係だった三井組と小野組は、どちらが主導権を握るかで争い、最終的に渋沢さんが総監役に就任することで対立が収まることになりました。

 

こうして日本初の銀行が生まれます。渋沢さんはまだ33歳でした。同じ年齢の頃の自分を思うと、本当にすごいことをしているなと改めて思います。渋沢さんも国自体も若く、明治初期の熱気をひしひしと感じます。

 

ちなみに、銀行名に「国立」と付いていますが、これは国の条例によって成立した銀行という意味で、説明したとおり、第一国立銀行は国ではなく、民間による資本によってつくられています。

 

 

ビビる大木

 

 

ビビる大木、渋沢栄一を語る

ビビる大木、渋沢栄一を語る

ビビる 大木

プレジデント社

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