「存在は知っているが、関わるのは一切ゴメンだ」
数日後、筆者の事務所スタッフが、Aさんの兄妹と連絡を取ることができた。結論からするとこのようなことだ(『「私の骨は、妻が眠る海へ」…高齢独居男性の願いを打ち砕いた「相続人と葬祭費」の切実な問題』参照)。
「亡くなった男性の存在は知っているが、これまで1回しか会ったことがない。そもそも母親は確かに同じはずだが、父親が違うはずだ。父親は誰だかわからないし、戸籍上の父親はいないはずだ。亡くなった母親にも聞いたことがない。亡くなった男性の預貯金なんか要らない。だから、Aさんの預貯金を火葬や各支払いに充てるののは一向に構わない。全部誰かがやってくれるなら多少の協力はしてもいいが、こちらから関わるのは一切ゴメンだ」
との返答だった。
そもそも「遺言書がない場合」、銀行預金を引き出すためには原則「相続人全員」の同意や委任が必要になる。これがなければ、預貯金は引き出せないのが原則だ。令和元年7月1日からの民法改正で「遺産分割協議前の預貯金(いわゆる葬儀費用の仮払制度)」が始まったが、引き出せる額や割合が少ないため、あまり使われていないのが現状だ。この制度では「法定相続分」の3分の1が上限のため、そもそも遺産が少なく、相続人が多いケースでは極めて少額しか引き出せない。ちなみにAさんのケースだと、仮にこの制度を使ったとしても6~7万程度しか引き出すことができない。
当初の行政の話によると、「兄妹は九州に住む2名のみ」との話だった。2名とも同じ九州のとある市内に住んでおり、いずれも銀行預金の解約などに協力はしてくれるという。本当にこの2名のみが兄妹ならば、「戸籍でこの2名のみしか兄妹がいないこと」を明らかにし、かつこの2名から「同意」や「委任」を頂ければ、預貯金をようやく解約することができる。
このような経緯で、行政の話を前提にして、この九州の兄妹から委任を貰い、Aさんの戸籍を遡ってみることになった。戸籍を調べてみると、確かに母方の兄妹は、行政が言うように九州の2名だけだった。しかしさらに戸籍を注意深く読んでみると、この男性は小さい頃に、父親とおぼしき男性から「認知(にんち)」をされていたのだ。
認知とは、嫡出でない子(婚姻中でない期間に生まれた子)について、その父または母が血縁上の親子関係の存在を認める制度だ。法律上、当然には親子関係が認められない場合でも、認知をすることで親子関係を認める効果がある。母子関係は原則として分娩の事実によって当然に発生するので、基本的には男性が行うものである。
認知されることで、父親とAさんとの間に親子関係が生じる。これにより相続等で恩恵を受けるともできるが、今回はこれが却って障害となってしまった。Aさんを認知した父親にはほかにも婚姻関係にある妻がおり、その間に少なくとも7人の子どもがいることが判明したのだ。
これを図示すると下記のようになる。
認知されることで、父親とAさんとの間に親子関係が生じる。これにより、父親とその妻の子どもたちとAさんは、法律上「兄弟姉妹」関係になる。この7名の兄弟姉妹はいずれも昭和初期の戦前生まれである。年齢的に亡くなっている方もいるだろう。幼少期に亡くなった方はいなさそうなので、結婚して子どもがいれば、その子どもたちも全員がAさんの相続人となる。
こうなってしまうとAさんの法定相続人が何人いるかも分からず、そのすべての戸籍や住所を調べ、かつ全員から、おそらく会ったこともないAさんの相続についての同意や委任を貰わない限り、Aさんの200万円余りの預貯金は引き出すことができない。これは現実的には、ほぼ不可能だろう。戸籍取得などにかかる膨大な手間暇や費用等を誰かが負担してくれれば可能かもしれないが、そのような人は現れるはずもない。
つまり九州の兄妹2名は、「Aさんの預貯金も受領できず」かつ「未払い金などの費用等は請求される」立場になってしまう。こうなってしまうと、九州の兄妹2名の取れる選択肢は1つだけだ。Aさんの相続について「相続放棄」を家庭裁判所に申述することだ。
実際にそうした手続きを家庭裁判所で取ることになった。
今回は「認知」だったが、これと同じケースに「養子縁組」がある。昭和初期などで子どもが多かった時代には養子縁組も意外と多くみられる。養子縁組をしても「実親」との関係は切れないため、「実親の兄弟姉妹(の子孫)」が相続人にとなることもあり、同じようなケースになってしまうことがある。
行政の福祉部門に対して、Aさんの戸籍調査結果を伝えたが「そうなんですか?」程度の反応だった。無理はない。彼らは福祉の専門家であり、民法の親族法や戸籍の読み方まで精通しているわけでないことが多い。