(※画像はイメージです/PIXTA)

生き方に正解がないように、逝き方にも正解はありません。ただ、最期のときだからこそ、「その人らしさ」が現れると年間100人以上を看取る在宅医は語ります。自分が入院したら、ただでさえ障がいで人と話ができない夫が孤独になってしまうと心配し、「せめて生きている間は夫の話し相手に」と在宅を望んだ老妻と覚悟とは…。本連載は中村明澄著『「在宅死」という選択』(大和書房)より一部を抜粋し、再編集した原稿です。

自分の生きてきた証がなくなるわけではない

■「いずれ、自分にもそのときが来る」すべて本音で

 

現役時代は学校の先生だったF雄さんは、当時86歳。胃がんをわずらっていました。訪問診療でお宅に伺うようになってから亡くなるまで、約半年間おつきあいをさせていただきました。

 

奥さまのほうも、もともと心臓に持病があり腰の手術もされていたので、F雄さんは「妻に負担はかけたくないから最期は入院だろうけど、いられるうちは自宅にいたいんだ」とお話ししていました。

 

奥さまは、私が訪問診療に伺うと、毎回、熱々のお茶をいれてくださいます。しかし、私は大の猫舌。ですから飲むのにいつも時間がかかってしまっていたのですが、奥さまはそんな私を見ながら、「ごめんなさいね、帰れなくて。でも、おしゃべりしてもらっている時間がうれしいの」とおっしゃって、そこから必ずおしゃべりタイムがはじまりました。

 

亡くなる2か月ほど前、F雄さんは私も出演した「きみのいのち ぼくの時間」というオリジナルのミュージカルを観に来てくれました。これは、NPO法人キャトル・リーフで作成した死に逝く側と残される側のつながりをテーマにした作品です。

 

F雄さんは翌週の訪問診療の際に、こんなふうに話してくださいました。

 

「いろいろなセリフが自分の病状にすごく当てはまって、考えさせられたんだ。いずれ自分にもそのときが来るんだなと、再確認できたよ」

 

死んだからといって、自分の生きてきた証がなくなるわけではないのだと思えて、気持ちの準備ができた。そう、おっしゃってくださったのです。

 

同窓会に行くたびに、同級生たちが亡くなっていくという現実をここ数年の間に何度も経験されていたようで、「どうも自分にも順番が回ってきたようだよ」と、ご友人たちにも伝えたのだと教えてくれました。「直接歩けるうちに全員に会ってお別れと感謝を伝えられてよかったよ」と。

 

F雄さんはご自分の気持ちと向き合って整理するのがとても上手な方で、その気持ちを、私にも言葉にして伝えてくださいました。

 

こんなに言葉でまとめて伝えてくださる患者さんはなかなかいらっしゃらないので、ミュージカルを観て、その当事者である患者さんご自身がどう思うか不安でしたが、F雄さんにはまっすぐに届いたようで、ほっとしました。

 

病気が進行し、ご自宅でトイレに行くのがむずかしくなってきたタイミングで、KuKuRu(当院併設の緩和ケア施設)に来られました。

 

近くに住んでいる娘さんが、自宅でお世話をしてもいいと言ってくれたのですが、奥さまが、頼りがいのあるしっかりしたご主人が弱っていく姿を見るのがつらくなってきてしまったということもあり、当初のF雄さんのご希望どおり、施設へ入る決断をしたのです。

 

入居されてから1週間後、F雄さんは亡くなりました。

 

「そのときが来たね」と言っているような穏やかな表情でした。

 

中村 明澄
在宅医療専門医
家庭医療専門医
緩和医療認定医

 

 

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