たとえば妻からなら、
・夫は仕事で忙しく、家にいればパソコン、スマホかTVです。私は無視され、私が存在する意味がありません。
・子育てが終わってみると、自分には何か別にやるべきことがあったのではないかと考えるようになりました。
・夫の母親の介護で、家事以外の生活の全てを費やしています。このまま私の人生が終わるかと思うと寂しい。
・退職した夫の平日の食事や身の回りの世話で、自分の時間が制限されるのはウンザリです。
また、夫からなら、
・家庭でないがしろにされています。飼い犬でさえ私より大切にされていると思えるのに、私は何のために働いてきたのだろうか。
・私が稼いだ金で妻は優雅に遊んで、私は感謝もされない。
・私の価値を認めないばかりか、趣味(たとえば、プラモデル、モデルガンなどの収集、鉄道オタクなど)を、妻はくだらないとか子どもっぽいとか馬鹿にしている。
などの思いが、心の中で幾度となく思い巡るようであれば、熟年離婚へのカウントダウンは始まっているかもしれません。これらの不満の火種に共通するのが、「自分の存在を受け入れてくれない」ことへの苛立ちであり、「かまってくれない」ことへの寂しさなのです。
良好な夫婦関係の条件が、親密さや充足感を配偶者に求めて、それにどれだけ応えてくれるかに関わっているのですから、夫婦関係が揺らぎだせば、苛立ちや寂しさは当然おこる感情ですし、これまでも大なり小なりの夫婦喧嘩が起こっていたはずです。しかし、もし、夫婦間のコミュニケーションや家事・育児(と後述する介護)の分担がお互いに納得できる状態であれば、このような不満の火種は存在しなかったはずです。
一般に女性のほうが夫婦関係に気を配って、自分の存在を受け入れて欲しいという気持ちをしっかり自覚しています。男性は感情や欲求を抑えて問題の解決を優先し、夫婦の感情的、情緒的な関わりよりも、むしろ冷静な関係を好む傾向があります。つまり、女性は表面的には言葉で意思表現しますが、男性はむしろ女性との対決を避け、沈黙する傾向があります。このため、夫婦喧嘩となれば、夫の沈黙がますます妻の苛立ちに火を付ける悪循環に陥るのです。
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