だんだんと短くなっていくAさんの話
しかし、Aさんの話は、長くは聞けませんでした。Aさんの病状は確実に悪化していきました。口腔底がんから転移した左肺の腫瘍は容赦なくAさんの体力を奪い、私たちがAさんを訪問する頻度は増していきましたが、Aさんの話はだんだんと短くなりました。
私自身は診療に伺うというより、死の淵に立つ老教授の最期の講義を受けに通うといった感覚でした。やがてほぼ寝たきり状態となり、二階でひとり過ごすのは危険な状態となりました。
奥さんや息子さん夫婦が暮らす一階に下りて療養したらいかがですか……と幾度も勧めましたが、老教授は頑として聞き入れませんでした。最期まで自分のやりたいようにするという自己主張の強い方でしたので、ご家族も含め誰もが無理強いはしませんでした。
しかし、はからずもというか、私たちには都合がよいことに、二階のエアコンが突然故障したのです。魚たちはもう泳ぎませんでしたが、魚たちがAさんを家族のもとへ送り出したのかもしれません。
これを契機にAさんは一階の家族のもとで療養することとなりました。
けれども、このころから食事がしだいに摂れなくなり、呼吸苦が生じるようになりました。それでも私たちが帰るときは「ありがとう」と手を強く握ってくださいました。
大阪在住の三女さんが帰ってこられたころには、意識が混濁しはじめ、深夜まで看病したお嫁さんに代わって三女さんが徹夜で看病された日の朝に旅立たれました。
医療現場における「能動的に聴くこと=傾聴」の重要性
ここでは傾聴について考えてみたいと思います。
聴くという行為、それは単に耳を傾けるという受動的な行為ではなく、語る側の言葉を受け止めるという能動的な「聴く」が重要であると考えられます。緩和ケアの世界でよく語られる「傾聴」とは、この能動的に聴く行為であると思われます。
この場合、聴く側は、語る側にとって無視し得ない、意味のある存在でなければなりません。そういう人に言葉(言葉だけではないかもしれませんが)を受け止めてもらってこそ、語りがいがあり、語る側と受け止める側のキャッチボールのなかで、信頼関係も構築され、語る側が変わっていく原動力が生まれる可能性もあるかと思います。
傾聴という行為、病める人の言葉を受け止めるこの行為は、他者を迎え入れるという、いわゆるホスピタリティーにも通じるところがあると思います。医学的にはすでに何らなすすべがなくとも、傍らにたたずみ、病める人を見捨てることなく、ただ受け止める。これが自然な形でできたとき、医者として以上に、人間としての喜びを感じます。
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矢野 博文
1957年7月徳島市生まれ。1982年川崎医科大学を卒業。以後病院で麻酔科医として勤務。2005年3月よりたんぽぽクリニックで在宅医療に取り組む。
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