貧しくても妬まず、自ら知識を得て努力することが大切
(富んでいるからといっていい気にならず、貧乏だといって憂えることなく、ただただ、知識を磨き、道義にかなった行いにより、真実の幸福を期待すること)
渋沢栄一といえば、「日本の資本主義の父」と呼ばれているが、もしかすると究極の社会会主義の理想家であったかもしれない。己の蓄財よりも、日本社会をより良くするために人生を費やした。
ただ、栄一の思想は、一般的な社会主義者が主張する「結果平等」ではなかった。少なくとも、自助と努力によって富を得た人間を妬ましく思うような「嫉妬社会」は、栄一が目指した日本社会のカタチではなかった。嫉妬に縛られた社会は、幸福をもたらさないのだ。
栄一は、基本的に能力主義者であったと思う。ただ、能力のある人間が偉いという意味ではない。人間はそれぞれ、自分の才能があり、その才能に応じた役割がある。個々の才能を最大限発揮できるように仕事を分担すれば、理想的な社会ができるはずだ.
したがって、個々は才能を伸ばすために、自発的に知識を得て努力をすべきである、ということだ。
そのためには、教育や仕事に関して「機会平等」の社会でなければならない。すなわち「機会平等」で「能力主義」を発揮できる社会こそが、栄一の社会構想に近い。そういう社会でこそ、より多くの人々が幸せを掴むことができるのではないか。
本人がいないところで人を誉めることが大切
(口は幸福または災難への門である。したがって、些細な事についてでも不用意な発言は慎むこと)
いつのことだったか忘れてしまったが、たまたま読んだ一文に、筆者は非常に感銘を受けた。以来、できるかぎり、その一文に書いてあったことを実行するように意識している。
すなわち、「本人がいないところでひとを誉めよ」。
自分が他人からどう見られているか、気にするのが人間だ。だからこそ、人を誉める、しかも当人に直接誉めるのではなく、第三者を介して誉める、ということが重要なのだ。
直接に誉められるのはもちろんうれしいことだ。一方、「お世辞」だと勘ぐるところもある。それだけに、他人を介して、自分が評価されていると聞くと、素直にうれしく感じる。とりわけ誉めてくれたのが、目上の人間や尊敬している人間だった場合は。その結果、信頼感を抱く。
まったく逆なのが、ひとを批判するときである。悪口というのは、とかく当人がいないところで言われる傾向が多い。ただ、陰口は必ず人を通して伝わる。そして、陰口ほど人の信頼感を損ねるものはない。文句が言いたかったら、批判したかったら、まず本人に言うべきである。
「口は幸福または災難への門」。まさに口はリスクマネジメントのツールであると、栄一は訴えている。
渋澤 健
コモンズ投信株式会社会長
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